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東急池上線

池上線(いけがみせん)は、東京都品川区の五反田駅と大田区の蒲田駅とを結ぶ東京急行電鉄(東急)が運営する鉄道路線。路線図や駅ナンバリングで使用される路線カラーは桃色、路線記号はIK 。列車種別は各駅停車のみであり、東急多摩川線(以下、多摩川線)と共通の18m車体、3扉の3両編成で運転される。1998年(平成10年)3月16日からはワンマン運転を実施している。ワンマン運転の安全確保のため、ホーム柵とホームセンサーを用いており、乗客が乗降するホーム柵の位置にあわせて列車を所定停止位置に停止させるための支援装置としてTASCを採用している。2000年(平成12年)8月6日以降のダイヤでは、五反田駅 - 蒲田駅間の全線通し運転のほか、朝ラッシュ時や夜間、始発・終電時間帯を中心に車両基地(雪が谷検車区)のある雪が谷大塚駅と五反田駅・蒲田駅間の区間運転がある 。なお、2014年(平成26年)3月14日までは平日の夕方と夜間の帰宅ラッシュ時間帯に五反田駅 - 雪が谷大塚駅間の区間列車が多数運転されていたが、翌15日のダイヤ改正で19時台1本、21時台1本、23時台1本、24時台3本を除いて運転区間がすべて蒲田行きに延長され、五反田発の夕方と夜間の区間列車は激減した。また、東急多摩川線には車両基地がないため、同線への車両出入庫も池上線の営業列車として行われており、蒲田駅でスイッチバックして多摩川線へ乗り入れる多摩川発着の列車が1日に数本設定されている(多摩川行きも五反田発着・雪が谷大塚発着の2系統を設定) 。ただし、時刻表上や駅の発車案内板はこれらの列車もすべて蒲田行きとなっており、実際の列車の行き先も一部の車両(新7000系や1000系1500番台)で「多摩川線直通」と表示される以外はすべて蒲田行きの表示となっている。五反田駅 - 蒲田駅間の所要時間は最短で22分。乗降や待ち時間を含めて30分前後程度である。毎年10月12日の夜には、池上駅が最寄り駅である池上本門寺で行われるお会式の万灯行列への参拝・見物客輸送のため臨時ダイヤとなり、列車が増発される。雪が谷大塚駅以外で車両の夜間停泊がある駅は五反田駅と蒲田駅である。(五反田駅・蒲田駅とも1本ずつ停泊する)。車両や駅の老朽化が課題であり、現在新型車両の導入を年度ごとに1編成のペースで行っている。駅設備は依然として古いものが多く、木造の旅客上屋や上屋と一体化した木製ベンチなどが今も現役で残っている。池上駅を除き構内踏切は廃止され、ホームごとに簡素な改札口が設けられた駅が多い。このような駅では片側のホームにしかトイレがなく、構内通路もないため反対側のホームからは利用することができないが、老朽化対策への動きも見られ、2013年度までに山手通りの鉄橋架け替え工事と共に駅施設の一部を更新した大崎広小路駅や、同年度までにバリアフリー化としてJR連絡通路にエレベーター・エスカレーター設置済みの五反田駅では、2014年7月現在、ホーム屋根掛け替え工事等駅設備改良がアナウンスされている。品川区の商業の中心地である五反田と、大田区の行政・商業の中心地である蒲田とを、各区の郊外にあたる内陸部を経由して結ぶ路線である。五反田 - 雪が谷大塚間では中原街道と、雪が谷大塚 - 蒲田間では環八通りとおおむね並行している。各駅に小規模な駅前商店街が形成されている。西側に目黒線・東急多摩川線(旧目蒲線)が通り、約1km前後の間隔を保ちながら終点の蒲田で合流する。両線の駅同士で最も近いのは千鳥町駅と下丸子駅の約500mで、徒歩でも7 - 8分程度で到達できる。五反田から戸越銀座までは、概ね商業地を走る。五反田駅は、「レミィ五反田」4階に直結してホームがある。接続する山手線を見下ろす高い位置である。山手線との連絡通路にはエスカレーター・エレベーターが設置され、乗り換え客は連絡用改札を、都営地下鉄浅草線利用者や五反田駅で降りる客は「レミィ五反田」直結の改札口を利用する。電車は4階ホームから南へ向けて出発し、すぐに目黒川を渡る。高架のまま山手通りを跨ぐと、大崎広小路駅に着く。大崎広小路駅を出た列車は左右に急なカーブを抜け池上線で最初の踏切である大崎広小路1号踏切道を越えて切り通しに入る。この地点から国道1号の高架橋までわずか数十メートル程度だが鉄道用地が若干広くなる。ここはかつて桐ヶ谷駅があった跡である。頭上を国道1号が越え、左カーブを抜けると戸越銀座駅へ到着する。同駅前には直線で約1.6km続く戸越銀座商店街が伸びる。戸越銀座を過ぎると商業地は住宅地にかわり、商店等も少なくなる。住宅地は旗の台まで続く。荏原中延駅とその前後は1989年3月に地下化された。地上の旧線路敷は公園などとなっている。旗の台駅では高架となっている大井町線の下を立体交差する。同駅では東急大井町線へ乗り換えるための連絡通路が長原寄りにある。昭和大学(昭和大学病院)の最寄り駅である。池上線における列車運行の境界は雪が谷大塚駅であるが、旗の台駅を境に周囲は緑地と宅地の混在した地域となり、これが千鳥町まで続く。旗の台駅を出た池上線は、長原駅の手前で再度地下にもぐる。これは環七通りとの交差のためで、同駅は1972年に地下化された。周辺は武蔵野台地の突端部に近く、急坂の多い複雑な地形である。このおかげで1957年8月10日、架線電圧が600Vから1500Vに昇圧された。地上に出ると洗足池駅があり、駅前を通る中原街道を渡ると洗足池が広がっている。桜の名所でもあり、花見シーズンは多くの人で賑わう。石川台駅までは切り通し区間となっている。両脇の土手には桜が植えられ、こちらも春には乗客の目を楽しませる。石川台を出て呑川を渡り、築堤を走ると雪が谷大塚駅である。雪が谷検車区を右に見ながら左に大きくカーブし、直線を少し走ると御嶽山駅に着く。駅北西側のイオンスタイル御嶽山駅前裏に御嶽神社が鎮座しているため、この名がある。駅の南端直下を東海道新幹線、横須賀線・湘南新宿ライン(品鶴線)がくぐっている。これはJRを除く普通鉄道(鉄道からモノレール・新交通システムなどを除いたもの)事業者の路線が新幹線をオーバーパスしている数少ない例である。久が原駅、千鳥町駅と短い間隔で駅が続く。周囲は緑地と宅地の混在地であり、千鳥町駅前には区民農園がある。千鳥町駅を出ると左に大きくカーブしながら上り、再度国道1号の上を跨ぐ形で立体交差する。国道1号を越えると商業エリアとなり、五反田 - 戸越銀座間と同様に再び商店等が増えるが、旗の台 - 千鳥町間に見られるような宅地は少なくなる。勾配を下り、右にカーブしながら池上駅に進入する。池上本門寺の門前町で、駅から参道を徒歩10分で総門に着く。駅前のバスターミナルに面して名物の葛餅を売る店も見られる。池上を出てすぐ右に急カーブし、踏切で多摩堤通りを越えると蓮沼駅に着く。左に急カーブし、右手から多摩川線が寄り添うと両路線の複線が揃って頭端式の蒲田駅に滑り込んでいく。多摩川線と共通運用となっている。2015年9月30日現在の運用車両は以下の通り。池上本門寺参詣客輸送を目的に、池上電気鉄道の手によって開業した。同社は後に東京川崎財閥の傘下に入り、中央本線国分寺駅への延伸を目指し、雪ヶ谷駅(現在の雪が谷大塚駅)から分岐して新奥沢駅に至る新奥沢線を1928年(昭和3年)に開業させている。しかし、1934年(昭和9年)には目黒蒲田電鉄(後の東急、当時東急目蒲線を運営)の五島慶太によって買収された。これは五島が自社線のテリトリーを侵すものとして国分寺延伸計画を阻止し、さらには買収を行うに至ったとされている。買収後、新奥沢線は不採算路線ということもあって1935年(昭和10年)に廃止する。元々、対立する会社同士の経営だった名残りで、大井町線との交点には長らく連絡駅が設けていなかった。しかし、1951年(昭和26年)に当路線の旗ヶ岡駅を大井町線旗の台駅に統合する形で接続を図っている。戦後の1960年代には、1945年に休止し1953年に廃止した桐ヶ谷駅を復活させ、池上線の五反田 - 桐ヶ谷間を廃止する代わりに泉岳寺 - 桐ヶ谷間に新線として泉岳寺線を建設し、途中に高架駅の池上線から地下駅の泉岳寺線に移設した五反田駅と泉岳寺駅の2駅を設け、泉岳寺線を東京都交通局(都営地下鉄)三田線と相互乗り入れさせる計画があり、また旗の台駅を大井町線と池上線との間に連絡線を設置した構造として大幅に改良し、泉岳寺線・池上線から大井町線・田園都市線に直通させる計画もあった。しかし、この計画は東急が帝都高速度交通営団(営団地下鉄)半蔵門線への直通に方針変更したため中止された。三田線は後年になって営団地下鉄、後の東京地下鉄(東京メトロ)南北線とともに同じ東急の目黒線と相互直通運転を開始した。1976年(昭和51年)に池上線を舞台にした歌『池上線』(作曲・唄:西島三重子 作詞:佐藤順英)が大ヒットし、その名が日本全国に広がった。しかし、この歌詞に池上線の車両の古さや状態の悪さを思わせる箇所があり、東急がそれらを否定するコメントを出す事態となった。ただ、当時の池上線を走っていた車両はほとんどが戦前製のデハ3450形を始めとした旧型車の初代3000系で、車体の更新工事は始まっていたものの、製造から40年以上が経過したものがあった。その初代3000系も1989年(平成元年)3月9日をもって撤退し、同月10日 - 18日の8日間は目蒲線に全車を集結させて運用した後、予備編成1本を残し運用を終了した。池上線は3000系が撤退した翌日の3月10日より一足先に新性能ステンレス車(当時は7200系・7600系)のみの運行となった。その後2007年(平成19年)には「池上線開通80周年」企画の一環として「池上線の名前を全国に広めた」ということで特別列車「名曲池上線号」が運転され、この曲を歌った西島三重子も乗車してイベントが行われた。

出典:wikipedia

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