宮津線(みやづせん)は、京都府舞鶴市の西舞鶴駅から同県宮津市の宮津駅を経由して兵庫県豊岡市の豊岡駅に至るWILLER TRAINS(京都丹後鉄道、丹鉄)を第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道 (KTR) を第三種鉄道事業者とする鉄道路線である。営業上は西舞鶴駅 - 宮津駅間 (24.7 km) に「宮舞線(みやまいせん)」、宮津駅 - 豊岡駅間 (58.9 km) に「宮豊線(みやとよせん)」の愛称が付けられている。本項目では、主に丹鉄移行前の概要について記すこととする。丹鉄移行後の運行形態・運行状況については京都丹後鉄道宮舞線・京都丹後鉄道宮豊線の項目を参照のこと。もとは日本国有鉄道(国鉄)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の路線で、1990年4月1日から北近畿タンゴ鉄道 (KTR) が運営していたが、2015年4月1日からは京都丹後鉄道を第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道を第三種鉄道事業者とする上下分離方式によって運行されている(後述)。丹後半島の付け根を通り、日本三景の天橋立などへの観光の足となっている。沿線に観光地や海水浴場を数多く控えていることから、観光輸送や夏季の海水浴客輸送のために大阪・京都方面から多くの特急列車が設定されていた。かつては、舞鶴線西舞鶴駅経由でも京都方面との特急列車が設定されていたが、2008年3月15日のダイヤ改正ですべての特急列車が宮福線経由に変更され、西舞鶴駅 - 宮津駅間は快速・普通列車のみの運転となった。また、新大阪方面への直通列車は2011年3月12日のダイヤ改正で全廃された。西舞鶴経由の優等列車(急行「丹波」・急行「大社」など)については「はしだて (列車)#沿革」および「きのさき (列車)#沿革」を参照。普通列車は、沿線住民の生活のほかに、宮津駅・天橋立駅での特急接続を考慮したダイヤとなっている。1 - 2時間に1本運行されている。夜間滞泊は西舞鶴駅・宮津駅・網野駅・豊岡駅で行っており、始発列車は西舞鶴行きが網野発6時06分、豊岡発5時56分、豊岡行きが宮津発5時54分、西舞鶴発6時17分である。最終は西舞鶴発が豊岡行き20時45分(宮津発は21時18分)、網野行きが22時(宮津発は35分)、22時台2本目の24分発が宮津行きである。豊岡発西舞鶴行きは21時26分(宮津発は22時49分)である。観光型列車として一部の普通列車が「タンゴ悠遊号」「丹後あかまつ号」「丹後あおまつ号」「丹後くろまつ号」として運転される。貨物列車は西舞鶴機関区(現在の北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)が、旅客列車は豊岡機関区(現在のJR西日本福知山電車区豊岡支所)の機関車が主に担当していた。宮津線は、京都府内の国鉄線では最後の蒸気機関車運転区間だった(1972年10月1日運用終了)。宮津線の周辺の鉄道を敷設しようとする動きは古くからあり、特に後の宮福線にあたる福知山と結ぶ鉄道の計画は何度も繰り返されてきた。鉄道建設の運動をしていた地元の丹後鉄道急設期成同盟会では、民営による鉄道建設と運営の難しさを感じ、国による建設を訴える方向に転じた。これをうけて1918年(大正7年)の帝国議会で舞鶴(現在の西舞鶴駅)と峰山を結ぶ峰山線(みねやません)の建設予算案が通過した。当初の建設計画では、舞鶴から真壁峠を越えて志高で由良川を渡り、由良川左岸に沿って下って現行ルートに取り付くようになっていた。しかし架橋の計画を知った上流の大江地区などからは、橋が水流の障害となって引き起こされる洪水への懸念から強い反対運動が起きた。そこで再調査の結果、1921年(大正10年)7月の計画変更で、神崎村まで由良川右岸に沿って下って、河口付近で由良川を横断する現行計画に改められた。その後舞鶴側から工事が順次進められ、宮津線として網野まで1926年(大正15年)12月に開通した。さらに豊岡までも峰豊線(みねとよせん)として計画され、豊岡側からも工事が進められた結果1932年(昭和7年)8月に全通し、峰豊線は宮津線に編入された。全通後は鉄道省 - 日本国有鉄道(国鉄)が運営をしてきたが、国鉄の経営悪化に伴い1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の規定により、特定地方交通線(第3次)に指定された。その頃、国鉄が開業させる予定で建設が進められながら、同じく国鉄再建法の規定で建設中断となっていた宮福線を引き受ける第三セクター会社として宮福鉄道が設立されることになっていたことから、地元ではこの会社に宮津線も引き受けさせて第三セクター化することとした。宮津線はその後西日本旅客鉄道を経て、宮福鉄道を改称した北近畿タンゴ鉄道が1990年4月1日から承継した。本路線を最後に、特定地方交通線の転換は終結した。第三セクター化後、宮福線の高速化・電化事業に関連して宮津 - 天橋立間の電化が実施され、京都や大阪方面から直通の特急電車が乗り入れるようになっている。その一方で、過疎化やマイカー化等により、普通列車等の地域交通としての役割が揺らぎ、赤字が山積してきており、特に天橋立-豊岡方面の乗客減が特に顕著なことから、北近畿タンゴ鉄道の経営主体の京都府は、兵庫県に対し、運行本数見直しや一部路線の廃止も含めた検討を始めたことが明らかとなり、地元自治体と検討会を設置し、2011年9月までに結論を出すとしていた。検討会(北部地域総合公共交通検討会)は、当初予定より1年遅れて2012年9月に「中間とりまとめ」を府に提出し、この中で上下分離方式の導入や経営組織の変更、設備更新投資、ダイヤ・企画乗車券の見直しなどの提言を盛り込んだ。2015年4月1日に、鉄道運行事業が北近畿タンゴ鉄道からWILLER ALLIANCEの子会社であるWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)に移譲された。これに伴い、京都丹後鉄道が第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道が第三種鉄道事業者となり、上下分離方式による運行を開始した。同時に路線愛称と路線記号・駅番号が設定された。
出典:wikipedia
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