福島テレビ株式会社(ふくしまテレビ、"Fukushima Television Broadcasting Co., Ltd.")は、福島県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。略称はFTV。コールサインはJOPX-DTV(福島 25ch)で、フジテレビ系列(FNN・FNS)に属している。リモコンキーIDはキー局のフジテレビ・準キー局の関西テレビなどと同じ「8」。民間放送事業者であるが、開局の経緯から福島県が株式の半分を保有している。福島テレビは、1962年(昭和37年)に県と地元新聞社などが出資、設立されたテレビ局である。社長ポストも、初代は調停役の県から出納長だった人物が就任したほか、2代目から6代目まではすべて副知事を歴任した人物がいわゆる「天下り」で社長に就任してきた。前社長である中村啓治相談役は産経新聞出身者であるが、現在も県関係者や県議会議員などが取締役に就いている。なお、2007年(平成19年)6月に就任した糠沢修一社長は、8代目にして初めての「生え抜き」社長となる。略称「FTV」は、現在のキー局であるフジテレビ(現在は「JOCX-DTV」から「CX」)が開局直後の数年間にわたり使用していた。また、福井テレビは本局より後に開局したため、「FTV」を略称に用いることができず、「FTB」を使用している。台湾のテレビ局、民間全民電視公司が福島県を訪問した際、略称「FTV」が本局と同じだったことで話題となった。福島県ではラジオ福島(RFC)が1957年(昭和32年)にテレビ予備免許(コールサインJOWR-TV)を取得するものの、1958年(昭和33年)に失効してしまった。全国的にラジオ単営局がテレビ放送も開始してラテ兼営局になる傾向(ひいてはTBS(JNN)系列か日本テレビ(NNN)系列への加入)があり、RFCも兼営局となるところであったが、増資などの折り合いが付かずにその道が閉ざされた。次に同名ながら全くの別会社である「株式会社福島テレビ」(ちなみに現在のFTVは俗に言う「あとかぶ」の「福島テレビ株式会社」)が1960年(昭和35年)に予備免許を取得(コールサインも現在のFTVと同じJOPX-TV)したが、1961年(昭和36年)3月1日を持って免許が失効となり、開局できずに終わった。この度重なる開局延期劇の背景には、福島民報・福島民友という地元二大新聞間の確執やその背後にある民報-毎日新聞-TBSと民友-読売新聞-日本テレビの関係、またこれらとは別の福島市対郡山市といった対立関係もあり、こうした福島県特有の事情のため調整が難航していたからである。この争いに終止符を打つべく、県が自ら調整に乗り出して誕生した放送局が本局であり、1962年(昭和37年)、県および県議会がテレビ免許割当に対する競願者の間に調停に入り、県が主導した上で、福島テレビ株式会社(当社)を設立。翌年開局している。当時、全国的に1県1局が通常であったとはいえ、広域圏の中核都府県を除く府県やUHF局しか存在しなかった佐賀県(民放テレビ局ではサガテレビ)を除けば、民放テレビ第1局としては、最後発での開局となった。企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:なお、23時からの最終版ニュースは、JNN/FNSクロスネット時代は本来JNN系列協定に沿って『JNNニュースデスク』を配信すべきだがネットせず、自社制作ローカルニュースを放送していた(当初は『民報ニュース』と『民友ニュース』を交互→後に『FTVニュース』)。ほか☆は1983年10月 - 11月も放送された番組。すべてTUF開局で放送再開もしくは放映権移行。ほかほか(★はFCT開局後に放送された番組)ほかほか★の番組はTBS系時代からのネット。☆はフジ系移行後にネット開始。◇は現ロゴになってからもネット。中通り地区会津地区浜通り地区"※ 東日本大震災による岩手県・宮城県・福島県のアナログ放送終了延期に伴い、2012年(平成24年)3月31日まで継続していた。"中通り地区会津地区浜通り地区放送開始前にはカラーバーと楽曲が流れている。流れる楽曲はインストゥルメンタルが多いが、2002年(平成14年)8月頃には同時期に福島県内でライブを開催するw-inds.の楽曲が流れていた。現在はほぼ終夜でカラーバーが表示されているが、2006年(平成18年)5月頃までは停波していた。また2011年(平成23年)の震災直後からは、放送終了後から左上の時報字幕スーパーを流すようになった。2016年(平成28年)現在の放送開始時間は平日(月曜 - 金曜)が4時22分、土曜と日曜が4時27分である。過去
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