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和菓子

和菓子(わがし)は、日本の伝統的な菓子のこと。明治時代以降にヨーロッパなどから新しく日本に入ってきた洋菓子に対する言葉で、餅菓子、羊羹、饅頭、最中、落雁、煎餅などが含まれる。また遣唐使がもたらした唐菓子、近世にスペイン・ポルトガル・オランダからもたらされ日本で独自の発展を遂げた南蛮菓子も和菓子として扱われる。洋菓子と比べて油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米・麦などの穀類、小豆・大豆などの豆類、葛粉などのデンプン、および砂糖を主原料としたものが多いのが特徴である。特に豆類を加工して作る餡が重要な要素となるものが多い。一般に緑茶に合わせることを想定して作られており、日常的な茶請け菓子として親しまれているだけでなく、茶の湯との関係も深い。その他各種の年中行事や慶弔事における引き出物などにも用いられる。四季との結びつきが強いことも特徴の一つで、特に上生菓子(じょうなまがし)と呼ばれる上等な生菓子では、各種の製法を駆使し、味だけでなく視覚的な美しさが豊かな季節感をもって表現されている。古代の日本人は稲、粟、稗などを主食とし、狩猟や漁撈などによってタンパク質を得ていたが、そのほかにも空腹を感じると野生の木の実や果物をとって食していたと考えられ、これが間食としての菓子のはじまりであろうと考えられている(現代においても果物は「水菓子」と呼ばれる)。初めは生のまま食べていたが、次第に保存のため乾燥させたり、灰汁を抜いた木の実の粉で粥状のものを作ったり、あるいは丸めて団子状したりするようになり、今日の団子や餅の原型となるものが作られるようになっていった。『古事記』『日本書紀』においては、垂仁天皇の命で田道間守が不老不死の理想郷に赴き、10年の探索の末に非時具香菓(ときじくのかくのみ、橘の実とされる)を持ち帰ったと記されており、これによって果子(果物)は菓子の最初とされ、田道間守は菓祖神とされている。和菓子の原型は、推古天皇の頃、600年代より遣隋使を派遣し、中国大陸との交流を始めたことにより整えられていった。文武天皇の治世の704年には、遣唐使の粟田真人によって、唐から唐果子(からくだもの)8種と果餅14種の唐菓子が日本にもたらされた。この中には油で揚げて作るものもあり、これはそれまでの日本にはなかった菓子の製法であった。これらの菓子は祭神用として尊ばれ、現在でも熱田神宮や春日大社、八坂神社などの神餞としてその形を残している。奈良時代の754年には鑑真によって砂糖や蜂蜜が、平安初期の806年には空海によって煎餅の製法が伝えられた。鎌倉時代には、宋から茶苗を持ち帰った栄西によって茶の栽培と普及が進められて喫茶文化が広まったことにより。点心の一つとしての菓子作りも発達していった。当時食されていた菓子は今日にはほとんどその形をとどめていないが、1341年に日本にもたらされた饅頭(蒸し饅頭)は、現在も続いている最も古い菓子の一つである。饅頭は仁和寺の第二世龍山徳見に弟子入りした宋の林浄因によってもたらされたもので、浄因は奈良の村に定住して日本における最初の饅頭である「奈良饅頭」を売り出した。饅頭には当初中国のものにならって羊豚の肉が餡として使われていたが、日本には当時肉食の習慣がなかったため、浄因は肉の代わりに豆類餡を入れたものを創案し、この形の饅頭が全国に波及していった。鎌倉時代から室町時代にかけてもたらされた羊羹も、もともとは文字通り羊の肉が使われていたものであったが、日本では小豆を使用したものに改良されてしだいに現在の形になっていったものである。室町時代にはポルトガル、スペイン、オランダの宣教師たちにより、カステラ、ボーロ、金平糖、カルメラといったいわゆる南蛮菓子がもたらされ、小麦粉や砂糖を使ったこれらの菓子は和菓子の製法と発展にも大きな影響を与えた。またこれらの南蛮菓子もその後の改良により、伝来時の形と大きく異なっているものも少なくない。その後、江戸時代には鎖国体制が敷かれたため菓子の発展にもいったん歯止めをかけることになるが、一方でそれまで貴重品であった砂糖の輸入も増え、また平和が続いたこともあって独自に製菓技術が発達していき、江戸で武家や庶民に親しまれた江戸菓子、京都のみやびな京菓子がその形を整えていった。また参勤交代制度によって各地の街道が整備されたことでひとびとの行き来や情報交流が盛んになり、各地の銘菓・名物菓子が知られるようになった。このようにして江戸時代には現在の和菓子のほとんどが形作られた。明治時代になると、開国とともに西洋の文化が押し寄せ、チョコレートやビスケット、ケーキ、キャンディーといった洋菓子が日本に次々と導入されていった。これにともない新たに日本に入ってきた洋風菓子を「洋菓子」、それまでの日本の菓子を「和菓子」とする呼び分けがされるようになった。その後はあんパン、クリーム入りの饅頭といった和洋折衷の菓子なども生まれ、現代の日本では多様な菓子が並立する時代となっている。菓子には様々な分類方法があるが、日本では保存性の観点から、まず水分の含有量に基づき生菓子、干菓子および半生菓子に大別することが一般的になっている(洋菓子にも用いられる)。水分を30%以上含むものが生菓子、10%以下のものが干菓子で、10%から30%のものが半生菓子におおよそ分類される(食品衛生法上はさらに細かい規定がある。生菓子他を参照)。「生」は加熱していないという意味ではなく、焼き菓子でも水分量の多いものは生菓子になる。生菓子よりも半生菓子のほうが、半生菓子よりも干菓子のほうが保存性が高く日持ちしやすい。後述のように餅菓子や饅頭などは生菓子、煎餅や落雁などは干菓子で、最中などは半生菓子に属する。羊羹やぎゅうひのように、製法によって水分量が左右され、生菓子になったり半生菓子になったりするものもある。生菓子のうち、日常的なお茶請け菓子として用いられるものは並菓子(なみがし)または朝生菓子(あさなまがし、朝生)などと呼ばれており、後掲の餅もの、蒸しもの、平鍋もの、岡ものなどがこれに属する。「朝生菓子」とは朝に作ってその日のうちに食べるものという意味である。対してこなし・ねりきりやぎゅうひなどを主な素材とするものや、色の異なる素材を流し合わせた羊羹類などの、高価で上等な生菓子を上生菓子(じょうなまがし)と呼ぶ。上生菓子ではこれらを素材として、各種の仕上げ方法を駆使し、季節の風物が写実的あるいは抽象的な仕方で色鮮やかに表現されている。製法の観点からは以下のように分類される。菓子の用途という観点からは以下のように呼ばれることがある。四季との関わりが深いことは和菓子の特徴の一つである。和菓子の中には特定の季節に限定して売り出されるものがあり、また特に上生菓子では、菓子自体によって季節の風物が表現され、それぞれの菓子に見合った銘がつけられている。そのほか雛菓子、盆菓子など特定の年中行事で供え物にしたり、食したりするものもある。これらの和菓子のいくつかは季語としても扱われている。和菓子の材料には様々なものがあるが、基本となるものは豆類、米粉などの粉類ならびに砂糖類である。特に豆類から作られる餡は、和菓子の基本と言われるほど重要視される。よくみられる黒い餡は赤あんと言い、主に小豆によって作られる。餡を作る際、漉して豆の皮を取り去ったものがこしあん、豆の粒を残したものが粒あん、皮ごとすりつぶしたものがつぶしあんと呼ばれる。また水飴を多く加えたものをネキあんまたは飴あんと言う。白あんは手亡(てぼう)、大福豆(おおふくまめ)といったインゲン豆の種類から作られるこしあんであるが、高級品として白小豆から作るものもある。青エンドウは甘く煮ることでうぐいす豆となり、また青色のこしあんであるうぐいす餡の原料となる。白あんからは、ぎゅうひ等をまぜて作る練り切り、小麦粉や米粉をまぜて作るこなしなどが作られる。また各種の餡を漉し器で漉してそぼろ状にしたものをきんとんまたはそぼろという(薯蕷で作るものもある)。上生菓子ではこれらを組み合わせ、着色や細かな細工を施して季節の風物が美麗に表現される。豆類はこれらの餡のほか、炒って炒り豆としたり、砂糖液を絡めたりしてつくる豆菓子の材料にもなる。粉類は米粉・小麦粉が中心となるが、蕎麦、黍、粟などを挽いた粉も使われる。米粉は餅や団子、ぎゅうひ、煎餅等の材料であり、小麦粉は各種の焼き物菓子の生地などに使用される。以下は米粉を中心に解説する。米粉は粘り気の多いもち米によるものと、比較的粘りの少ないうるち米によるものとに大別される。もち米を生のまま粉にしたものを餅粉(または求肥粉)と言い、餅菓子やぎゅうひ、団子(上新粉と混ぜる)の材料となる。もち米を水を加えながら潰し、乾燥させたものが白玉粉(または寒晒し粉)であり、これもぎゅうひや、白玉団子の材料となる。なお「ぎゅうひ」は水飴を混ぜるもので、配合によって求肥餅とも求肥飴とも呼ばれ、各種の和菓子の素材として広く用いられる。もち米を蒸したのち、乾燥させてつくる道明寺糒(どうみょうじほしい)をあらく挽いたものが道明寺粉で、道明寺桜餅やみぞれ羹の素材となる。同じものを細かく砕いて焼いたものが新引粉(しんびきこ)で、落雁や、菓子の仕上げに上からまぶして使うまぶし粉などに使われる。道明寺粉に似るが、餅を焼いてから挽いたものはみじん粉(または寒梅粉)と言い、これも各種の生地のつなぎ材などに用いられている。うるち米を生のまま粉にしたものを新粉、上新粉、上用粉と言う。これは粒の細かさによって呼び分けられるもので、新粉がもっとも粒が大きく、上用粉が粒が小さい。上新粉は草餅や柏餅、また餅粉と混ぜて団子粉をつくり団子の材料とされる。上用粉からはういろうや、薯蕷をまぜた薯蕷饅頭などが作られる。砂糖は菓子に甘味を付ける役割のほか、保水性により柔らかさを保ったり、保存性を高める役割を果たす。和菓子には一般の白砂糖(上白糖)、白双糖、グラニュー糖なども使われるが、特に珍重されるのが高級品の和三盆で、やや黄みがかった色と独特の風味を持ち、そのまま押し固めて干菓子にすることが多い。黒砂糖もかりんとうなどを作るのに使われている。以上のほかにも様々なものが和菓子の材料になる。水飴は前述のように飴菓子を作る材料になるほか、豆などに掛けて掛もの菓子を作ったり、餡や生地のつなぎとして使われたりする。寒天は羊羹・水羊羹や金玉羹、みつまめなどの材料となり、他に葛切りなどを作る葛粉、わらび餅を作るわらび粉などからも透明感のある涼味の和菓子が作られる。薯蕷(ヤマノイモ)は、白さを生かし薯蕷饅頭、軽羹、練り切りなどの材料とされる。江戸時代、市内の菓子商人は店ごとに掾国名を付記したが、これは菓子商人は京都、中御門家の支配に属していたからである。当家の役所からは1年おきに下役数人ずつが浅草新堀端の松平西福寺内の役宅に出張し、江戸市内において掾国号などの官名を明記せずに、単に「XX屋XX兵衛」のような通称で営業する菓子屋を捜索した。そしてその家主、地主に差紙を送り、無免許者を役宅出張所に召喚し、菓子商人は京都、中御門家の支配に属すること、当家から掾国号の官名を受け営業すべきことを諭し、希望に応じて掾国名を授与した。官名等級は藤原姓が最高で、次いで山城、大和、河内、和泉、摂津など、また武蔵、紀伊、尾張、常陸などは決して許されず、その他の国名およびXX堂、XX軒などの順位であった。これは俗に「餅屋官」とも言われ、大掾の階級はのちの奏任官待遇に該当し、正七位に相当するという。

出典:wikipedia

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