精進川(しょうじんがわ)は、北海道札幌市南区および豊平区を流れる石狩川水系豊平川支流の河川である。長さ13.2kmのうち北海道が管理する一級河川が6.2km、札幌市が管理する準用河川の部分が7.0kmである。札幌市南区の定山渓ゴルフ場の近く、厚別川沿いの滝野すずらん丘陵公園から見て北西にある丘陵付近に源を発し北に流れる。上流部は、西隣を稜線一つを隔てて並ぶ真駒内川と異なり、川沿いに人家は多くない。中流部の右岸が澄川、左岸が真駒内地区である。北海道道82号西野真駒内清田線と交わるあたりから、両岸が平地となり市街地に入る。自衛隊前駅の下を潜り、南区澄川1条4丁目で西に精進川放水路を分ける。放水路は西に分かれ、ミュンヘン大橋の南で豊平川に注ぐ。本流の方はさらに北に流れて豊平区に入り、右岸が豊平区平岸、左岸が豊平区中の島地区になる。下流部では精進河畔公園、豊中公園など川沿いの公園を流れ、幌平橋の北で豊平川に合流する。公園周辺ほか沿川には樹木が多く、段丘崖が接する斜面にはわずかに自然林が残されている。下流域では冬になると付近の住民のための雪捨て場となるが、水量が少ないこともあり流されずに埋もれてしまう。精進川沿いには、縄文時代・擦文時代の遺跡(M79遺跡,M81遺跡)があり、古くから先住民が居住していた。1891年(明治24年)刊行の永田方正著『北海道蝦夷語地名解』にある地名「オソウシ」が、今の精進川にあたると推測されている。流域への和人の入植は1871年で、岩手県水沢の出身者を中心とする62戸が平岸村に入った。平岸村の人々は、1873年に用水堀を作ってこの川から水を村に引いた。元の精進川は、放水路のあたりで豊平川に流れ込んでいた。今の精進川下流部は、かつては豊平川の分流の一つであり、この分流によって中州のようになった地区を、中島(中の島)といった。アイヌ語地名の研究者山田秀三によれば、付近の地名「平岸」はアイヌ語の「ピラ・ケシ(崖の尻)」で、分流が穿った急な崖を指しているという。また、オソウシはアイヌ語の「オ・ソ・ウシ(川尻に滝がある)」で、川の終わり近くに滝があることから付けられたのではないかという。中流右岸の澄川地区は、昔この川にちなんで「精進川」といった。澄川は精進川を雅称したもので、1944年にこの地名に変更になった。後に築堤工事により、豊平川からの分流は遮断された。今の放水路は、洪水防止のため精進川から豊平川に水を流し込むべく、1966年から1971年にかけて造られた。現在の中の島は、放水路と精進川と豊平川で区切られた地区である。その後1976年までの工事で下流は川床と岸の三面をコンクリートで覆われた。また、この時期は生活排水などで川の汚れが進んだ。水質は20世紀末に改善された。北海道は、多自然型川づくりの二番目の対象に精進川を選び、1992年から再改修を実施した。随所でコンクリート護岸が外され、住宅地のただなかで自然に親しめる場所になっている。この計画の柱には残されていた河畔林の保全があったが、1996年に計画当事者の北海道自身が河畔林の一部をマンション開発業者に売却した。住民の反対で札幌市議会が買い戻しを要請したが、道は一か月で交渉を断念し、そのままマンションが建設された。精進川にはいくつかの滝がある。代表的な滝は、国道453号をくぐった先の精進河畔公園内にある落差2メートルほどの滝で、付近の住民は「精進川の滝」と呼ぶ。天神山児童会館付近には、とても小さな滝がある。この滝は、川の中ほどまで行かないと見ることができない。
出典:wikipedia
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