霊柩車(れいきゅうしゃ)とは、遺体を葬祭式場から火葬場(土葬の場合は墓地)の移動の際に使用される特種用途自動車。「柩」が常用漢字に含まれていないため、法令上は霊きゅう自動車と表記される。日本では、古くは棺を人間がかついで運んでいたが、その後大八車様のものに乗せて運ぶようになった(このようなものは「棺車」と呼ばれる)。その後、トラックの上に棺を入れる宗教的装飾を施した輿のようなものを乗せて運ぶようになり、更にそれが自動車と一体化して霊柩車となった。ボディーの色は多くが黒である。昭和初期の霊柩車は主にアメリカのパッカードを改造したものが多かったという。現代(21世紀初頭)の日本で一般的な霊柩車のスタイルは、大阪にあった「駕友」という葬儀屋を経営する鈴木勇太郎によって1917年に考え出された。古くより「霊柩車を見たら、親の死に目に会えないから、親指を隠せ」との俗言がある。2015年現在、日本では約6000台の霊柩車が登録され年間500台が更新されている。全国に約10社の改造メーカーがあり、特に手の込んだ改造ができる会社は6社。霊柩車のほか、ワゴン車を改造した搬送車や、遺体を洗浄する設備を搭載した湯灌車も造られているが、すべてオーダーメイドである。光岡自動車は乗用車製造で培ったノウハウを応用し、個性的なフロントマスクの霊柩車を開発・販売している。1990年代まではアメリカ製の「バン型」を輸入し使用することが多かったが、近年は国産車を改造した霊柩車が普及し、光岡自動車やカワキタのようにアジア圏へ輸出するメーカーもある。葬儀関係車両の輸出は、国内メーカーではカワキタが最初となる。プリウスα、クラウン、ティアナ、カローラフィールダー、プロボックス、レガシィツーリングワゴンなど国産車のほか、ボルボ、ベンツなどどんな車両でも改造は可能という。現在の霊柩車の様式は、おおむね宮型・洋型・バス型・バン型に分類される。これら4種とも、棺をスムーズに載せるためのレールと、棺を固定するためのストッパーが設けられている。1つの自治体(市、区、郡)に対して霊柩車の保有台数の上限があるといわれ、霊柩車を保有したい事業者の新規参入は(空き枠がある地方部を除き)限り難しい。軽自動車枠に収まる仕様の霊柩車も極めて少数だが存在し、黒地黄色字の事業用特種用途車(8ナンバー)で登録される(軽貨物自動車運送事業に該当)。かつて鉄道車両にも、霊柩車は存在した。英照皇太后・明治天皇及び大正天皇の崩御の際に、その遺体を輸送するために霊柩車が製作された。皇族以外の者では病客車によって遺体が搬送された記録が残っている。一般用の霊柩車としては、1915年(大正4年)に名古屋市の八事に市営の共同墓地と火葬場が建設されたのにともない、尾張電気軌道(名古屋市電の前身の一つ)が墓地に線路を引き込み、既存の電車(9号とされるが、4号とする説もあり)を改造して霊柩電車を製作している。この霊柩電車は、車体の中央部に棺を出し入れする幅1800mmの扉を設置し、会葬者とともに墓地まで運んだという。この霊柩電車は、1935年(昭和10年)頃〈1931年(昭和6年)とする説もあり〉まで使用された。
出典:wikipedia
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