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ペリーヌ物語

『ペリーヌ物語』(ペリーヌものがたり)は、フジテレビ系列のカルピスファミリー劇場枠で放映されたテレビアニメーション。放映期間は1978年1月1日から12月31日まで。全53話。日本アニメーション制作。1978年文化庁こども向けテレビ用優秀映画作品賞を受賞。原作はフランス人作家、エクトール・アンリ・マロの『アン・ファミーユ』("En famille")。邦題は『家なき娘』(いえなきこ、いえなきむすめ)または、『家なき少女』(いえなきしょうじょ)。後に放送された『家なき子レミ』と対になる物語で、『家なき娘ペリーヌ』と称されることもある。マロ原作のアニメは3カ月前に日本テレビで『家なき子(東京ムービー新社製作)』が放送されており、実質的にマロの2大作品がアニメ化されたことになる。ただし、原作クレジットが「エクトル・マロ」のため、この作品に使用された底本となる日本語訳は確定していない。放映年の1978年は、元日も大晦日も放映曜日の日曜であったため放映があり、1年を通してプロ野球中継や特別番組等による休止もなかったため、世界名作劇場シリーズの中では全53話と最も話数が多い。主人公ペリーヌを演じた靏ひろみは、この作品で声優デビューしている(本作が始まった時はまだ高校生だった)。また、脚本の宮崎晃は『続・男はつらいよ』をはじめ、山田洋次監督作品の脚本を何本も手がけており、前作『あらいぐまラスカル』から脚本を担当した。この作品は、それ以前の『母をたずねて三千里』などの作品と違い、予算や時間的に現地取材をすることができず、手元の入手可能な資料のみで作成したという。そのため、シリーズでは同じフランスが舞台である『家なき子レミ』『レ・ミゼラブル 少女コゼット』とは異なり、フランスであるはずの風景がドイツのハイデルベルクの風景になっている場面や、セミがいないパリでセミが鳴いている場面などがある。その他にも原作との違いがいくつか存在するが、基本的には原作小説を忠実に沿っている(第17話以降から)。ペリーヌ・パンダボアヌと母親のマリはボスニアの小さな村に逗留していた。共に旅をしていた父親のエドモンがこの地で病に倒れて、命を落としたためである。ペリーヌとマリはエドモンを埋葬して弔いを終えると、ロバのパリカールの牽く馬車に乗り、エドモンの故郷・フランスのマロクール(最寄りの駅は)を目指しての旅を再開する。マリはエドモンの仕事を引き継ぎ、写真師として道中の村や街に立ち寄っては仕事をこなして旅費を稼いでいた。クロアチア、イタリア(トリエステ・ベローナ・ミラノ)を経て、早くフランスに到達しようと険しい山越えの道を選び、スイスを抜けてフランスに至った。しかし、アルプス越えの無理がたたり、マリは体調を崩してしまう。病を押してパリまで到着したものの、シモン荘に下宿して養生することになる。ペリーヌは一生懸命にマリを看病し、医者を呼び薬を与えるが、容態は良くならない。次第に所持金がなくなっていき、馬車や写真道具、そしてパリカールまでも人手に渡してしまう。この状況を知ったマリは一日も早くマロクールに到着しなければならないと考え、無理を押して旅立つことを決意する。しかし、マリは旅立ちの朝に倒れ、ペリーヌに「人から愛されるには、まず人を愛しなさい」という言葉を残して息を引き取る。マリの葬儀を終えたペリーヌは、親切にしてくれたシモン荘の人々に見送られ、一人でマロクールへの旅を再開する。暑い夏の日差しの下、徒歩での旅を続けるペリーヌであったが、疲労と病気とでついに倒れてしまう。あわやというところでペリーヌを救ったのは、懐かしい友・パリカールであった。パリカールの今の持ち主である古物商のルクリは、ペリーヌの旅に同行して助けてくれる。アミアンを経て残りの道のりが一本道になると、ルクリに別れを告げたペリーヌは一人でマロクールに向かう。村の入り口で食堂の娘・ロザリーと知り合いになる。ロザリーは道中に見えた立派な屋敷が、当地で大工場を経営するビルフラン・パンダボアヌのものであること、そしてビルフランが自分の言いつけに逆らって家を出て行った息子・エドモンを許していないかもしれないということを教えてくれる。その時、屋敷から厳しい顔つきをした老紳士が馬車に乗って出かけるのを目撃する。ペリーヌはこの人物が祖父であることを悟ると同時に、母がいまわの際に残した「おじいさまはあなたを歓迎しないかもしれない」という言葉が脳裏に蘇った。結局、ペリーヌは祖父との対面を避けて、オーレリィという偽名を使い、マロクールに滞在して様子を見ることにする。ロザリーの紹介で、パンダボアヌ工場のトロッコ押しとして働き始める。工場の給料は十分なものではなかったが、村はずれにある池のほとりの空き小屋に住むことで家賃を浮かせたり、食器や服や靴などを自作するなどの工夫をして暮らす。やがてペリーヌに転機が訪れる。サンピポア工場ではイギリス人の技師との意思疎通が上手くゆかず、機械の設置が滞るというトラブルが発生していた。ペリーヌは英会話の能力を買われて、通訳を任される。トラブルの原因を突き止め解決させたことは、ビルフランのペリーヌに対する信頼を大いに向上させた。ペリーヌを目の見えない自分に代わり、新聞や手紙を読ませるための秘書に抜擢した。こうして祖父に大きく近づいたペリーヌであったが、ビルフランがエドモンとマリがインドで結婚したことを認めていないどころか、マリのことを息子をたぶらかした女として憎んでおり、孫にも全く無関心だということを知り、ますます名乗りづらくなるのと同時に心を痛めるのであった。また、ビルフランの身の回りの情報を知るようになったペリーヌは、次期社長の座を狙う工場長のタルエルや、ビルフランの甥のテオドールから付け狙われるようになる。しかし、ビルフランが後継に考えていたのは未だに帰らぬエドモンであった。ビルフランは弁護士のフィリップスに依頼して、ずっとエドモンの所在を調べさせていたが、エドモンが既にこの世にないことを知るペリーヌは気が気でなかった。だが、ついにエドモンがボスニアで死亡していたという事実が判明する日が来る。それを知ったビルフランは力を落として病床に伏せってしまうのであった。だが、かつてエドモンの乳母を務めた、ロザリーの祖母・フランソワーズの見舞いを受け、秘書のオーレリィ(ペリーヌ)の顔がエドモンの小さい頃にそっくりだという話を聞いたビルフランはある仮説を思いつき、フィリップスに新たな調査を依頼する。やがてフィリップスはビルフランの仮説の通り、オーレリィがペリーヌであるという調査結果を持ち帰り、ビルフランの前でその証明をしてみせる。そして、とうとうペリーヌはビルフランを祖父と呼ぶことが出来、オーレリィ(ペリーヌ)が孫であることを期待していたビルフランとお互いに抱き合って幸せの涙を流すのであった。ここでは、その村に登場しているもしくはその村までの道中に登場した人物を国、村ごとにまとめている。DVD版が販売中。ただし、DVDは本放映当時のものと比べ修正が若干ある。レーザーディスク版から動画に修正が加わっている(第31話のポールの帽子の有無など、第49話のヒゲは未修正)。また、全53話に対して16種類(スタッフや字幕違い)のオープニング映像を全話に貼り付けており、初回放送やその後の何度かの再放送とも違う素材が使用されている話がいくつかある。また、近年の再放送ではデジタルリマスター版が制作されており、マスターテープの左右を引き伸ばした上でハイビジョンに再編集されている。テレビシリーズを再編集し音声を新録したもの。一部の用語は言い換えが行われている。また、ナレーションは渋沢詩子に代わり日比野美佐子が担当している。1980年に制作されていたものの、同年に上映された劇場版『母をたずねて三千里』(ペリーヌ同様にTV版を編集して音声を入れ直している)が興行的に不振だったため、1990年までお蔵入りになっていた。TVシリーズのレーザーディスク発売に先だってこの劇場版のビデオソフト・レーザーディスクが発売されたが、DVDは発売されていない。NHK-BS2で放送され、CS放送局では2013年6月にカートゥーン ネットワークで約20年ぶりに放送された。TVシリーズの再編集で、BSフジで放送されたもの。※放送日時は1978年9月中旬 - 10月上旬時点、放送系列は放送当時のものとする。パリ編では時々プティト・サンチュールと呼ばれる環状線鉄道についての描写があり、これは廃線となったものの現在もそのままの状態で放置されている。ペリーヌが乗車したシャロンヌ駅は現在も駅舎がカフェ・ライブバーFlèche d'Orとして保存されている(営業時間は夜間)。ペリーヌ物語では、ボスニアからフランスまで旅をしているのに旅券(パスポート)を所持している描写はない。身分を証明するものはマリが持っている結婚証明書だけのようである。これは「旅券のことは無視している」わけではなく、この物語の時代(1870年代)にはまだ旅券の制度がなかったためである。

出典:wikipedia

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