『無量寿経』(むりょうじゅきょう)は、大乗仏教の経典の一つ。原題は『スカーヴァティー・ヴィユーハ』()で、「極楽の荘厳」という意味である。サンスクリットでは同タイトルの『阿弥陀経』と区別して、『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』とも呼ぶ。サンスクリット原典、チベット語訳、漢訳が現存する。日本では特記が無い限り『無量寿経』というと、康僧鎧の訳とされる『仏説無量寿経』の事をさす。『大スカーヴァティー・ヴィユーハ』の漢訳は、12訳あったと伝えられている。5つの訳本が現存し、7つの訳本は欠本になっている。五存七欠十二訳と呼ばれる。現存するうち、「漢訳」・「呉訳」・「魏訳」の訳者に関しては諸説ある。序分に王舎城の耆闍崛山において、優れた比丘や菩薩たちに対して、釈尊が五徳の瑞相をあらわし説かれた。正宗分には、ある国王が世自在王仏のもとで出家し法蔵菩薩と名乗り、偈文(「讃仏偈」)を作り師を讃嘆し、諸々の仏の国土の成り立ちを見せて欲しいと願いを述べ、その仏国土より優れた点を選び取り、発願(ほつがん)し、五劫の間思惟して行を選び取った。願と行を選び取った法蔵菩薩は、師に向かい48の願(四十八願)を述べた。続けてこの願の目的を述べ重ねて誓った(「重誓偈(四誓偈・三誓偈)」)。そして兆戴永劫にわたり修行し、願が成就し、無量寿仏(阿弥陀仏)と成り、その仏国土の名が「極楽」であると説かれる。願が成就してから十劫が経っていて、阿弥陀仏の徳とその国土である「極楽」の様子が説かれる。極楽浄土に生まれたいと願う者は皆、仏になることが約束され、阿弥陀仏の名号を聞信し喜び、心から念ずれば往生が定まると説かれる。その者たちは、上輩・中輩・下輩に分けられ、それぞれの往生の方法が説かれる。修行もやり遂げられない、善行も戎も守りきれない下輩の者は、たとえわずかな回数でも、一心に念ずれば往生がさだまると説かれる。そして釈尊は、偈文(「東方偈〈往覲偈〉」)を読み、教えを聞き、阿弥陀仏を敬い、「極楽」への往生を勧める。さらに浄土に往生した聖なる者たちの徳を説かれる。次に釈尊は弥勒菩薩に対して、煩悩のある世界(穢土)に生きる衆生の苦しみの理由を、三毒(貪欲〈とんよく〉・瞋恚〈しんい〉・愚痴)・五悪(殺生〈せつしよう〉・偸盗〈ちゆうとう〉・邪淫〈じやいん〉・妄語〈もうご〉・飲酒〈おんじゆ〉)によると示し、誡める。続けて弥勒菩薩に、そのままではその苦しみから逃れられない事を説き、「極楽」に往生する事が苦しみから逃れる方法であると説かれる。それは、ただ無量寿仏の名を聞いて、たった一度でも名を称えれば(念仏)すれば、功徳を身に供える事ができると説いた。この教えを聞いたものは、後戻りする事は無い(必ず往生できる)と説かれる。流通分には、無上功徳の名号を受持せよとすすめ、時が流れ一切の法が滅しても、この経(『無量寿経』)だけは留めおいて人々を救いつづけると説かれる。「仏説」とは、釈尊が自ら口で説いた教えのことである。しかし、釈尊の在世時から滅後100年頃までは口伝によって教えである「法」と規則である「律」が伝えられる。それら「法」と「律」は、「結集」によって認証確定されていく。そして滅後100年を過ぎた頃に、「法」を集めた「経蔵」と「律」を集めた「律蔵」が成立したものと考えられる。(詳細は、大乗仏教#「大乗非仏説」論を参照)。
出典:wikipedia
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