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西武多摩湖線

多摩湖線(たまこせん)は、東京都国分寺市の国分寺駅から東京都東村山市の西武遊園地駅を結ぶ西武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はST。2013年3月15日までは、萩山駅と国分寺駅間の折り返し運転と、西武遊園地駅から萩山駅を経由し拝島線の小平駅まで直通(一部は新宿線に乗り入れて西武新宿駅まで)運転される系統に二分されていたが、翌16日のダイヤ改正で拝島線直通を大幅に削減し、多摩湖線全区間を直通するワンマン運転を基本としたダイヤに移行した。基本的には国分寺駅 - 西武遊園地駅間の運転で、国分寺駅 - 萩山駅および萩山駅 - 西武遊園地駅間の区間運転列車もある。使用車両は、1996年に701系・801系が撤退し、101系に統一された。1998年11月から多摩川線に次いでワンマン運転が実施されており、ワンマン対応改造が施された新101系が運用されている。2005年から2006年にかけてワンマン車に更新工事を実施しており、工事期間中の代替車両として多摩川線用にワンマン改造された旧101系 (225F) が運用についていた。ワンマン運転開始後にも運用の都合でワンマン非対応車が入線したことがあるが、その際は車掌が乗務しドア閉めなどは車掌が行った。2013年3月15日までは、拝島線小平駅発着の列車が終日運転されていたほか、平日朝に国分寺駅 - 一橋学園駅間の区間列車が運転されていた。拝島線・新宿線から西武遊園地駅への直通列車は平日朝の各駅停車と、土休日の急行で運転されており、いずれもホーム有効長の関係上8両編成で運転されている。かつては萩山駅での編成の分割・併結が行われていたが、年々縮小され、2013年3月16日のダイヤ改正で消滅した。同時に平日朝の西武新宿駅行きの急行に設定されていた1号車の女性専用車両も消滅している。列車種別は現在「各駅停車」・「急行」のみである。1996年のダイヤ改正までは野球もしくはイベント開催時に限り「準急」が設定されており、国分寺駅 - 萩山駅間の各駅と西武遊園地駅に停車していた。本来ならば「急行」または「快速急行」とすべきであるが、既に急行と快速が萩山駅 - 西武遊園地駅間各駅停車として設定されており、快速急行は国分寺駅 - 萩山駅での急行運転用に予約していたせいで、苦肉の策として同区間で設定のなかった準急を割り当てた。また、1998年のダイヤ改正までは不定期で萩山駅 - 西武遊園地駅に「快速急行」が設定されていた。停車駅は萩山駅と西武遊園地駅で、のちに八坂駅・武蔵大和駅にも停車していた。主に西武ライオンズ球場(当時)で野球もしくはイベントが開催される時の西武新宿駅からの直通列車で、臨時として小平駅 - 西武遊園地駅の運転もされていた。また当時の多摩湖線のホーム有効長の関係で4両編成で運転されていた時期もあった。国分寺 - 萩山間は、1990年までは311系や351系といった17m車3両編成が中心に使われており、西武鉄道では最後まで吊り掛け駆動の旧型車両(いわゆる赤電)を使用した線区である。主な理由として、当時の多摩湖線国分寺駅のホーム有効長が60m程度しかなく、20m車4両編成の入線が困難だったためである。同駅への20m車4両編成の入線対応としては、ホームを現在位置に移動させることで延伸を果たした。なお、旧ホーム先端に接していた本町四丁目商店街の道路は、掘り下げて駅(連絡通路)の下を潜るようにされた。主な20m車の入線車両は以下の通り。元々は堤康次郎の箱根土地が所有する小平の分譲地の輸送手段として国分寺-小平間の鉄道免許を取得したことがはじまりで、続いて村山貯水池へ延伸する免許を取得し子会社の多摩湖鉄道により開業した路線である。後に箱根土地系列となった武蔵野鉄道(現・西武鉄道の前身)と1940年に合併した。複雑な路線の伸縮、駅の改廃・改称を繰り返している。また、戦後かなりの間、1500Vの他線区とは異なり、架線電圧は600Vのまま残されていた。多摩湖線のキロポストは、国分寺駅→萩山駅で一区切りになり、萩山駅→西武遊園地駅については、拝島線小平駅からの通算となる。このため、拝島線も萩山駅で一旦途切れることになる(萩山駅 - 小川駅間は小川駅から萩山駅に向かってキロポストが打たれる)。なお、国分寺駅には0kmポストがなく、0.1kmから始まっているが、これは同駅の改良により駅の位置が変更されたためである。「歴史」の節で記した通り、開業時と比べて改変が著しい路線である。特に萩山駅以南は廃駅が多い。一番駅数が多くなったのは1939年1月から1953年1月15日の間で、当時4.4kmだった南側の区間に8つもの駅がひしめき合っていた。当時の駅は以下の通り。括弧内は駅間距離/国分寺駅起点の営業距離 (km)。1953年から翌年にかけて東国分寺・桜堤・厚生村の各駅が休止のまま廃駅となったことで一気に5駅まで減り、さらに1966年の一橋大学駅・小平学園駅統合による一橋学園駅設置と本町信号場設置で現在のように4駅と1信号場という形になった。このためこの区間で開業当時からの駅は国分寺駅・青梅街道駅・萩山駅のみで、このうち国分寺駅と萩山駅は移転しているため、厳密に開業当時のままなのは青梅街道駅のみである。

出典:wikipedia

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