『ハイスクール!奇面組』(ハイスクール きめんぐみ、"HIGH SCHOOL! KIMEN-GUMI")は、新沢基栄による日本の漫画作品、およびそれを原作とするテレビアニメ、劇場版アニメなどの作品群である。新沢の漫画家デビュー作『3年奇面組』(さんねん きめんぐみ、"SAN-NEN KIMEN-GUMI")において中学生だった主人公の高校進学に伴い、『ハイスクール!奇面組』にタイトル変更したものが本作である(アニメ版では中学生編を含め『ハイスクール!奇面組』として制作された)。集英社『週刊少年ジャンプ』にて、『3年奇面組』は1980年10月13日41号から1982年4月12日17号まで、『ハイスクール!奇面組』は『3年』が終了した翌週の1982年4月19日18号から1987年7月6日30号まで連載された。本項では『3年』から『ハイスクール!』を通して解説するほか、スクウェア・エニックス『月刊少年ガンガン』にて連載された『フラッシュ!奇面組』についても取り扱うこととする。架空の学園「一応高校」を舞台にして、一堂零・冷越豪・出瀬潔・大間仁・物星大から成る五人組「奇面組」と、河川唯・宇留千絵などの個性的なキャラクターたちが活躍する、ドタバタギャグ・コメディ作品である。奇面組はその名のとおり変な顔の五人組であるが、「他人に笑われようとも自分の個性を堂々とさらけ出し、世の中を味付けする調味料になろう」をモットーに、日夜“変態”(後述「「変態」について」を参照)な珍事を繰り広げる。奇面組の外にも、「色男組」「腕組」「番組」「御女組」といった五人組も登場する(奇面組同様、中学時は「3年○○組」として登場)。本作における「変態」とは主に奇人・変人または異常な行動状況を指すものであり、転じて「人知を超越した存在」という位置づけになっている(手足が伸びる、壁を歩いて登る、突然動物に変身するなどの超人的な行動もこれに含まれる)。ただし、まれにギャグとして(一般的に広く認知されている)「変態性欲」の意味で使われるケースもある。登場人物の名前は、ほとんどが一堂零(=「一同、礼!」)などといった語呂合わせになっている(春曲鈍の両親など、語呂合わせになっていないキャラクターも少数だが存在する)。作者の新沢が漫画家デビューを目指してフレッシュジャンプ賞に応募した漫画作品『3年奇面組参上』(ジャンプ・コミックス 3年奇面組 第1巻に収録)に登場するキャラクターおよび世界観をベースに、奇面組の中学3年から卒業までを描いた作品。第一話は、ヒロインで当時「一応中学校」2年の河川唯と宇留千絵が校内で上級生の奇面組と出会うところから始まる(アニメ版では、唯が転入した時点ですでに奇面組と千絵が同級生となっている)。新沢は、従来ギャグ漫画で定番である「マンガの登場人物は年をとらない」という手法を「しらじらしくなってしまいそう」という理由から避け、『3年奇面組』のキャラクターに毎年きちんと年をとらせることとした。また中盤では、奇面組の後輩である唯や千絵と同じ教室でストーリーを展開させるために、奇面組を落第・留年させることで同学年になるように調整された。その際、骨組を除く各集団も留年させている。奇面組が作中2回目の受験した際には、何とかつじつまを合わせて奇面組と唯・千絵を同じ一応高校に通わせることに成功。晴れて『ハイスクール!奇面組』として続けてゆくことになった。その際、主要な先生も一応高校の教師として異動している。新沢はのちに「(読者からは)『3年奇面組』は“ギャグ”で『ハイスクール!奇面組』は“コメディ”という意見もあって、確かにそういう見方もできる。『3年奇面組』の頃はまだ漫画のノウハウも全然知らず、ノリとテンションのみでだけで頭に思い浮かんだキャラクター、ネタ、イメージを動かしていた」と語っている。奇面組の高校時代を描いた作品。便宜上『3年奇面組』の続編に位置する。登場キャラクターの入れ替えや制服の変更などが行なわれたほか、これまで集団で動いていたキャラクターを独立させて描いたり、「帰宅部」の奇面組が各クラブに挑戦するエピソードが多く描かれるようになった。新沢も「『ハイスクール!奇面組』になってからは読者にわかりやすくすることを心がけ、(つまらない話を平気で描いてしまわないように)一話ごとに自分で描いていて何かひとつだけでも満足できるようにチャレンジするようになった」と語る。当初『ハイスクール!奇面組』は、時間の経過どおりに描いて1985年(昭和60年)3月の高校卒業で完結させる予定であった。しかし、「This is 卓球boy!の巻」の冒頭で唐突にタイムワープによって1年前(1984年)の春にストーリー時間が巻き戻される。これは、新沢が終了したい意向を担当に伝えたものの話を上層部に通してもらえず、「人気と余力があるうちは続けてほしい」と言われて連載継続を余儀なくされたためである。もともと奇面組たちの高校卒業後を描くつもりがなかった新沢は、苦肉の策として「作者がタイムマシン『集英号』に乗って1年前に戻り、再び3年生の頃の話を描く」という手法で切り抜けることとなった。あくまで同じ年の違った出来事を拾い出すという体裁のため、重複した事件や行事の話などはないが、後付けの形で多くの新しいキャラクターが登場した。最初の連載継続を決定してからほどなくして、新沢のもとへ3度目のアニメ化のオファーが舞い込んだ(それまでは断っていた。後述の「アニメ版」の項を参照)。これを承諾したことで必然的に翌年も続けざるを得なくなり、タイムワープを繰り返す中で連載は終わりどころを失ってしまう。新沢は当時の迷走期について、のちに「何度も(ストーリーの)同じ年度を繰り返すことになって、正直つらかった」と語る。持病の腰痛が悪化する一方でだんだん締め切りに遅れるようになり、さらに1987年(昭和62年)5月中旬にはアシスタントを担当していた佐藤正が『燃える!お兄さん』でメジャーデビューして独立。このためアシスタント不足にも悩まされ、橘ハナ子が初登場した回(週刊少年ジャンプ1987年4月13日18号)からの巻末コメントはほとんどが編集担当の長谷川によるアシスタント募集のアナウンスだったほどである。やがて新沢の腰痛が極限に達し、ついに『週刊少年ジャンプ』1987年5月25日24号、6月1日25号と2週にわたり原稿を落とせざるを得なくなった。それをきっかけに集英社の上層部との話し合いの場が設けられ、休養をはさんだあとに単行本穴埋め用の2話と奇面組の卒業後の話を描いたラスト3話の計5回を描いて連載終了という話に落ち着いた。ラスト3話はタイムワープ設定を持ち出す前からすでに新沢が大まかに用意していたものだが、引越しのごたごたでネーム(コンテ)を丸々紛失してしまい、実際には思い出しながら描いていたという。1987年7月6日発売の『週刊少年ジャンプ』30号掲載分「さらば奇面組の巻」をもって、『3年奇面組』以来7年近く続いた『ハイスクール!奇面組』の連載は終了した。この最終回のラストシーンは、社会人になった唯が出勤途中で偶然(?)通りかかった零の自転車に乗せてもらっているところで、いつの間にか一応中時代に戻っていた、というものであった。そして唯の「『奇面組』は自分の空想だったのかもしれないが、彼らはきっといると信じたい」という旨のモノローグが添えられつつ、千絵と校舎の廊下を歩いているカットでストーリーが終わっているため、連載終了後に読者から「夢オチはひどい」「今までの話をなかったことにするのか」などといった抗議が多く寄せられることとなった。これに対し、新沢はのちに雑誌インタビューにて「正直、(あの最終回を)夢オチと言われるのは心外」と語っている。また新沢は『帰ってきたハイスクール!奇面組』において、「最後は(空想なのか、正夢なのか)どっちとも取れるように描いたつもりだったが、悪いふうにしか取られなかった。愛蔵版の単行本では、描かないとわかりにくいかなと思って走ってくる零くんの影を描き足した」とも語っており、平成になってから発売された愛蔵版および文庫版の最終回では、ラストのコマに『3年奇面組』第1話の冒頭と同様にトンカツをくわえて廊下を駆けてくる一堂零のシルエットが加筆されている。なお、アニメ版については原作終了後の1987年9月26日まで放映された(後述の「アニメ版の終了」の項を参照)。80年代ブームが始まると、「80年代を象徴するギャグマンガ」として以下の作品を12年ぶりの新作として発表する。これらは『ハイスクール!奇面組』の外伝に位置づけられ、同じ時間軸(非パラレルワールド)ではあるが従来のエピソードと重複した話はない。またPOPEYE本誌やムック本においては、欄外に「新沢先生の作品が読めるのはマガジンハウスだけ!?」と、いかにもジャンプ連載時代を彷彿させるようなメッセージが書かれたりした。一方で、上記の『帰ってきたハイスクール!奇面組』の際に使用された原稿が丸々紛失されるというトラブルが発生し、それに対する編集者の態度に激怒した新沢は、2003年に原稿料と慰謝料合わせて610万円の損害賠償を求めて係争を起こした。なお、その紛失したといわれる原稿については掲載された各誌発行の際の印刷時に保存されていたデータから復元し、後日集英社から単行本として一括掲載されている(後述)。2001年にエニックス(後のスクウェア・エニックス)『月刊少年ガンガン』にて『フラッシュ!奇面組』が連載開始(この際、タイトルロゴは変更されている)。留年直後の中学3年生から再度描き直されているが、服装や一部のキャラクターの髪型などが現代風にアレンジされるほか、ストーリーなどにおける設定変更が行われている。また、高校進学後の流れは現実より遅くなっている。しかし新沢の健康状態から休載が多く、2005年6月号を最後に連載は途絶えた。単行本もガンガンコミックスとして3巻まで刊行されたが、2005年6月号掲載の「秋はやっぱり○○の秋!?の巻」は単行本未収録となっている。本編と直接関わりのない番外編もいくつか存在する。特にワラトルマンの「ウルトラ編」はアニメ化されなかったが、シリーズ化され不定期に何度か登場した。『ヤングジャンプ増刊 シゴト魂』(2005年11月5日増刊号)にもワラトルマンの読み切りが掲載された。下記に掲げるほか、いくつか単行本収録のショートストーリー作品がある。連載200回記念として始まった、『ウルトラマン』のパロディーシリーズ。怪獣退治を任務とする「宇宙科学防衛警備 一応秘密武装怪奇とにかく怪獣やっつけ隊」、通称「やっつけ隊」。隊長は事代作吾。参謀兼科学者の陸奥五郎は多くの武器や戦闘用マシンを開発するが、怪獣相手には所詮通用しないものばかり(途中から少しはましになる)の役立たず集団で、一般市民からも物笑いの種にされることも珍しくない。隊員は奇面組と河川唯、宇留千絵。その中でもダメ隊員としてお荷物扱いされている一堂零は、いざとなると特殊乾電池(太陽電池)を使用し「ワラトルマン」に変身、怪獣と対決する。このシリーズ限定で登場するキャラクターおよび怪獣に関しては、ワラトルマンとやっつけ隊編の登場キャラ・怪獣を参照。ジャンプ・コミックス (JC)ジャンプコミックスセレクション (JCS)ジャンプコミックスデラックス (JCD)集英社文庫(コミック版)集英社ジャンプリミックス (SJR)ガンガンコミックス (GC)上記のうち、『3年』『ハイスクール!』全巻(いずれもJC版)および『フラッシュ!』全巻が、Jコミ「マンガ図書館Z」より電子書籍として配信されている。また2014年からは、TORICOが運営する「漫画全巻ドットコム」よりアプリ版が「奇面組シリーズ」として配信されている(JC版全巻および『フラッシュ!』全巻のほか、ムック本『帰ってきた』を加えた全30巻)。当作品の原作者・新沢基栄は新潟県柏崎市出身である。同県での本作に対する取り組みは以下のとおりである。2012年11月3日(文化の日)、地元新聞『新潟日報』第752号別刷として、「創刊70周年特集 漫画家が描くふるさと新潟 新潟マンガ王国」が折り込まれた。広告タイアップ紙面では、トーヨータイヤ(東洋ゴム工業)の広告が本作とのコラボレーションとして掲載され、奇面組の5人と唯・千絵が登場した(零と唯が前面に、豪たちと千絵がバックに描かれている)。新潟市は2012年3月に「マンガ・アニメを活用したまちづくり構想」を策定し、振興事業として「マンガ・アニメのまち にいがた」を推進している。当作品としての取り組みは以下のとおりである。2013年2月23日、同市中央区に「新潟市マンガの家」が開館した。館内には「ギャグマンガゾーン」が設けられ、新沢の作品に関する展示が以下の形で行なわれている。この「マンガ・アニメのまち にいがた」と連携し、電子ペーパー搭載の「次世代型中づり広告」の実証実験が同年6月5日から7月4日まで、JR東日本企画と大日本印刷の合同企画として行なわれた。この広告は、JR東日本新潟支社エリア管内の路線(信越線、白新線、越後線、羽越線)を走行するE127系の車内にて掲示され(一編成のみ)、その中で、新潟ゆかりの漫画家の作品として新沢の『ハイスクール!奇面組』全13話(JC第1巻)が使用された。1985年10月12日から1987年9月26日まで、フジテレビ系列局(フジサンケイグループ)を含むFNS各局にてテレビアニメが放送された。放送時間は毎週土曜 19:30 - 20:00 (日本標準時)。アニメ放送開始前にコミックスにてアニメ化の告知が掲載され、新沢は「反対派の意見もあるだろうが、自分なりによく考えた結果だ」とコメントしている。また、原作終了後に近況報告をコミックスに掲載した際、「アニメ化は3度目のオファーでOKしたが、それ以前は諸事情により断った」とも語っている()。新沢はアニメ化にあたり、スタッフに対する指示を兼ねて自らあらためて設定資料を描き下ろしている。設定資料はスタッフ側から依頼された際、アニメに必要な設定がどの程度なのかわからず、主要キャラクターごとの全身、後ろ姿、顔の正面・斜め・横(表情に至っては喜怒哀楽など7 - 8パターン)の各アングルや、役どころや性格などの詳細を記したプロフィール、キャラクター同士の立ち位置に関する注意などを描いて渡したところ、スタッフに「こんなに細かい指定をされたのは初めてです」と驚かれたという。開始当初にアニメ制作を担当していた土田プロダクションが経営危機に陥ったため、同社に所属していたスタッフにより立ち上げられたスタジオコメットが実制作を引き継いだ。この際にスタジオぎゃろっぷがその応援として、第8話から第26話までの一部の話を制作した。また、スタジオライブも第13話以降の一部の回に制作参加しており、同社社長の芦田豊雄も参加したことがある。制作当初は高校設定として『ハイスクール!奇面組』のエピソードから始まる予定だったが、そのままではキャラクターの関係がわからなくなるため、最初の5回は『3年奇面組』を原作とした中学時代のエピソードとなった。その際、原作者の新沢が『3年奇面組』とうまくつながるように簡単な脚本的なものを書き下ろしており、のちに新沢は「こういう出だしなら終わりもまたループしてここにつながるのかな」と、原作における最終回の構想のヒントになったことを明かしている。『バレーボールワールドカップ』の中継で約1か月の中断を経て本編に突入した。なお、その後もプロ野球中継(主に明治神宮野球場のヤクルト戦)や『ひょうきんスペシャル』で休止することがあった。最高視聴率24.3%。平均視聴率は全86回で19.2%をマーク。これは、ジャンプアニメでは『Dr.スランプ アラレちゃん』・『マジンガーZ』シリーズ・『ドラゴンボール』(1989年4月26日からは『ドラゴンボールZ』)に次ぐ記録である。サウンドトラック盤『ハイスクール!奇面組』(キャニオン C25G-0411)はオリコンLPチャートで最高4位を記録した。後半、原作のストックが足りなくなると引き延ばしのある話が増え、アニメオリジナルのエピソードも登場した。一方で、以下のようなエピソードやシーンが多数登場した。また、同じフジテレビ系のドラマ『スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇』をモチーフにしたシーンが第52・68・70話に登場している(こちらを参照)。放送時間の制約および後続の番組編成上の関係もあり、他作品のように独立した次回予告コーナーではなく、EDラストにて予告テロップを表示するという形式だった。なお、初代ED「女学生の決意」の場合は、後半に「今日のハイライト…」が2コーラスをバックに映し出され、その最後に予告表示という流れだった。特記のない限り、学年については奇面組の在籍学年を指す。色の違いについては、別枠で「色関係」としてまとめた。教室での零たちの座席配置が異なっている。原作とアニメでは話の順番が一致していないため、時期設定の点で相違が見られる。なお、原作「きみの手料理が…の巻」(高3時)にて千絵が「5年も進展なかったことだしいい傾向よ」と発言しているが、この台詞がアニメ「零くん熱烈ラブコール!?」(高2時)でも変わっていないため、唯の初登場時からの年数で矛盾が生じる。以上に掲げたほか、原作準拠の回でも以下の点で相違が見られる。放送開始2日前の1985年10月10日の「体育の日」(当時は毎年10日が同祝日となっていた)に、東京都内にてアニメの第1話試写会が行なわれた。1987年9月19日に総集編として「緊急指令!全員集合せよ!!」が放送されたあと、翌週9月26日に最終回として「一応高の人気もの ひょうきん奇面組解散」が放送された。最終回は完全なオリジナルエピソードとして制作され、最後の「奇面組は永遠に不滅です!」というメッセージとともに幕を閉じた。また、キャスティングの協力を青二プロダクションが務めている。テーマソングのためのタイアップとして、当時の人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」に所属していた高井麻巳子と岩井由紀子(ゆうゆ)の2人で結成された“うしろゆびさされ組”を抜擢。秋元康&後藤次利のゴールデンコンビ提供の曲(一部を除く)ということもあり、次々とヒットを飛ばした。1987年3月限りで高井麻巳子がおニャン子クラブを卒業するのに伴い“うしろゆびさされ組”は解散となるが、その直前に放送されたアニメ第63話後半パート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」に本人キャラクターが登場し、ライブを行なう。また原作では、パロディキャラクターの「うしろまわし蹴り炸裂組」が登場している。うしろゆび解散後は、同じくおニャン子クラブ所属の工藤静香・生稲晃子・斉藤満喜子による“うしろ髪ひかれ隊”が最終回までの曲を歌った。「主題歌」クレジットでは、いずれも「おニャン子クラブ」の名が冠されている。第50話前半パート「犬に小判」では、当時フジテレビアナウンサーだった露木茂がニュースを読むアナウンサー役で出演している。ただし声のみであり、顔は本人ではない。第63話後半パート「うしろゆびさされ組の卒業式ジャック」では、うしろゆびさされ組自身が本人役でゲスト出演し、デビュー曲「うしろゆびさされ組」を豪たちによるバック演奏つき(パートについては初代OPに準ずる)という形で披露した。これは、開始当初から主題歌を担当していた同ユニットが解散するのに伴う設定であり、「うしろゆびさされ組が一応高の卒業式にサプライズ出演する」という内容だった。なお、声による出演はトーク部分のみであり、歌唱シーンはサントラ音源を使用している。また放送の際、原作者の新沢が2人のキャラクターデザインなど参考カットを新規に起こしてスタッフに渡している。このほかうしろゆびの2人は、JC第15巻にも表紙で登場している。本放送は、以下のFNS各局にて放送された(原作が終了した1987年7月当時で23局。その後、新規開局または脱退した放送局あり)。本放送終了後も各地方局の地上波で繰り返し再放送されるほか、近年はケーブルテレビや衛星放送での再放送に加え、ネット配信放送も行なわれている(下記参照)。ちなみに関東では、フジテレビ(1987年-1988年)⇒テレビ東京(1990年、『アニメランド』にて)⇒フジテレビ(1992年-1993年)と3回再放送されたほか、独立UHF局でもテレビ埼玉や千葉テレビ・群馬テレビにて放送された。1986年7月12日に、『東映まんがまつり』の一作として3部構成で公開された。タイトルは通常と同じく『ハイスクール!奇面組』。のちに東映ビデオより商品化された。テレビでは、1988年1月1日 7:30 - 8:24 (日本標準時)にフジテレビ元日特番『新春アニメ劇場』で放送。放送時間の都合上、一部シーンがカットされた(劇中歌「恋はコットン」が途中カットされるなど)。OPやEDの映像は、TVサイズの比率4:3で制作されたものを横合わせで映画用の16:9に調整しているため、通常のTV版の映像よりも縦方向が25%ほどカットされている。また、サブタイトル画面の背景がそれぞれ通常の赤ベースとは異なったものになっている。また当時の東映ビデオ商品では、本編の最後に「作品紹介」のコーナーがあった。ちなみに本作の場合は『東映まんがまつり』の宣伝となっていた(奇面組のほか、後述の同時上映作品の宣伝)。他の日本製アニメの例に漏れず、アジアやヨーロッパをはじめとする諸外国でも放映された。特に日本製アニメの人気が伝統的に高いフランスでは、『Le Collège fou, fou, fou』という現地名に改名されて放映された。しかし、一部キャラクターの声や第12回の翻訳ではミスがあった。また、第84話(劇場版からの再録)と第85話(総集編)は翻訳されず、未放送となった。テレビアニメのBGMと主題歌を収録したサントラ盤がポニーキャニオン(旧・キャニオンレコード)よりリリースされた。なお、音楽組・音楽組2のBGMは、現在でもテレビ番組のBGMとして使用される場合がある。2003年にマルホン工業からタイアップ機6種類がリリースされた。スタリコから奇面組のLINEスタンプが40種類リリースされている。
出典:wikipedia
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