大阪線(おおさかせん)は、大阪府大阪市天王寺区の大阪上本町駅から三重県松阪市の伊勢中川駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。駅ナンバリング等で使われる路線記号はD。大阪(大阪上本町駅および難波線大阪難波駅)と名古屋・伊勢志摩方面を結ぶ特急列車が通る近鉄の基幹路線の一つである。また、三重県伊賀地域・奈良県中和地域・大阪府中河内地域から大阪市内への通勤・通学路線としても機能している。営業距離の108.9kmは、JR・三セクを除く日本の私鉄の路線では東武伊勢崎線に次ぐ長さとなっている(全線複線以上の路線としてはJR・三セクを除く日本の私鉄最長)。ほぼ全線にわたり大阪と津を結ぶ国道165号と並走している。青山町駅以西では、スルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカード(自動券売機での引き換えのみ)が使用できるが、伊賀上津駅以東では使用できない。また全線でPiTaPaおよびICOCA・SuicaなどのICカードが全国相互利用サービスにより利用できる。なお自動改札機が設置されていない伊賀上津駅 - 川合高岡駅間の各駅には、専用の簡易改札機を設置して対応している。なお、新青山トンネル西坑口(大阪上本町起点84.048km地点)を境に、大阪上本町側が大阪統括部、伊勢中川側が名古屋統括部の管轄。実キロ数は107.6kmで、榊原温泉口駅の大阪寄りに実キロ数を営業キロ数に合わせることを示すキロポスト(距離更正点)が建っている(大阪難波駅を起点とする実キロ数95.738kmの地点で、営業キロ数97.054kmが設定されている。両者の差は新線経由と旧線経由の差である)。桜井駅以西は大阪・奈良の府県境があるものの比較的平坦な区間で連続した急勾配は少ない。桜井駅から伊勢中川駅までは山越え区間になるが、開業当初から電化されており、曲線半径600m以下のカーブが生じないように設計されている(その他の区間には最小半径400mのカーブが存在)ため、最大33.3‰の連続急勾配も点在する。このため、強力モーターの電車が高速で山越えをするダイナミックな走行が見られる。なお、以下に示す記述はすべて大阪上本町→伊勢中川方向における沿線風景であり、逆方向については順序が逆になり、風景の見える方向が左右逆となる。近鉄百貨店上本町店に内包された7面6線を有するターミナル駅である大阪上本町駅を発車してほどなく、地下から高架へと上がる奈良線(難波線)の線路が並行し(線路戸籍上、近鉄奈良線の起点は布施駅であるが、運転系統にあわせここでは奈良線と記す。詳細は近鉄奈良線の項目を参照)、JR大阪環状線の下を通り鶴橋駅に到達する。この駅は2面4線の構造で、1番線と3番線を奈良線、2番線と4番線を大阪線が使用している。JRと近鉄の主要幹線同士の接続駅ということもあり、終日多くの利用客で混雑する様子が見られる。鶴橋駅から先はしばらく方向別複々線の線路になり、大阪線と奈良線がそれぞれ違う線路を走る。住宅街を高架で通り抜け今里駅に達する。今里を出てしばらくすると東大阪市に入り、奈良線の線路がさらに上へ上がり、布施駅となる。ここから奈良線と分かれ、線路は右にカーブする。次の俊徳道駅の高架下には2008年3月15日に開業したJRおおさか東線のJR俊徳道駅がある。俊徳道を出てしばらく進むと線路は地上になり、終日、近畿大学の学生などで賑わう長瀬駅に着く。そこから先は狭い住宅街を進み、2面4線の弥刀駅に達する。弥刀駅からすぐ河内国分寄りには引き込み線と折り返し設備があり、かつては近畿大学の学生を運ぶ弥刀駅折り返しの列車が使用していたが、現在も信貴線(後述)の車両入れ換えや回送列車の方向転換等に用いられることがある。弥刀駅を過ぎると再び高架に上がり、高々架の近畿自動車道と地上の大阪府道2号大阪中央環状線に差し掛かる手前で八尾市に入り、久宝寺口駅。そのまま高架を進んで近鉄八尾駅に達する。近鉄八尾駅を出るとすぐ、左手には西武百貨店とアリオ八尾が見え、しばらく進むとメロディアンの本社および研究所が見える。線路が再び地上に下りると間もなく河内山本駅に着く。この駅からは信貴線が分かれており、大阪などから信貴山朝護孫子寺への参拝の足となっている。ここを過ぎると線路は右へ大きくカーブし、高安駅に達する。ここには高安検車区・高安検修センターがあり、近鉄のいろいろな車両を見ることができる。その後高架に上がって国道170号(大阪外環状線)を乗り越え恩智駅、そこを出てすぐに線路は地上になる。東方向(進行方向左側)に生駒山系の山並みを眺めつつ線路は南へ延び、柏原市の住宅街に入って法善寺駅・堅下駅と進む。安堂駅のあたりからJR関西本線(大和路線)と国道25号が並走し、やがて大阪線はこの2線を立体交差で跨いで大和川を渡り、河内国分駅に着く。河内国分駅を過ぎたあたりから線路はゆるやかに左へカーブし、景色も次第に金剛山地の山々がせり出してくるようになる。西名阪自動車道の下を通ると大阪教育大前駅。この駅を過ぎてすぐの新玉手山トンネルを抜けてしばらく進んだ所に府県境があり、大阪府から奈良県に入る。関屋駅の先で勾配を登り切り、二上駅を過ぎて奈良盆地に踏み込むと、南側(右側)にフタコブラクダ状の稜線を持つ二上山が見えてくる。この辺りでは二上山寄りを走る南大阪線に最も接近する。線路は徐々に香芝市の中心部へと進み、香芝市役所の最寄駅近鉄下田駅に達する。ここを過ぎるとJR和歌山線を乗り越え、五位堂検修車庫・高安検車区五位堂車庫を右手に眺めつつ五位堂駅に達する。住宅街を通り抜け大和高田市に入り、築山駅を過ぎて大和高田駅に達する。しばらく進むと田園地帯に入り、松塚駅を過ぎて曽我川を渡ると線路は橿原市に入る。このあたりから右手に大和三山の一つ畝傍山が見えてくる。橿原市の住宅街に入ると真菅駅。そこから線路はしばらく住宅街の中を進み、橿原線からの京伊特急用の短絡線が合流して、高架の大和八木駅に到着する。この駅には大阪だけでなく京都方面からも一部の特急が運転されており、同一ホームでの特急同士の連絡が時折見られる。またこの駅からは「高速道路を通らない日本一長いバス路線」である十津川経由新宮方面行きの奈良交通バスが発着している。大和八木駅を出て橿原の市街地を抜けると、左手に耳成山(大和三山)が、右手に天香具山(大和三山)が見える。特に耳成山は線路のすぐ近くにそびえており、周辺に目立った丘がないためとても美しく見える。耳成駅を過ぎると線路は桜井市に入り、住宅と畑、山林が調和したのどかな風景が続く。大福駅を通り過ぎると左手には三輪山が、右手にJR桜井線(万葉まほろば線)が見えてくる。大阪線の線路は高架へ上がりJR線もこちらに迫ってきて桜井駅に達する。桜井駅を出るとJR桜井線(万葉まほろば線)が左に分かれていき、国道165号を乗り越えると、2面4線の大和朝倉駅。この付近から線路は、初瀬川の谷の山肌に沿って最大33.3‰の上り勾配が連続している。線路はやがて牡丹と紅葉の名所である長谷寺の最寄り駅、長谷寺駅を通る。長谷寺駅を過ぎると、室生・赤目の山々がせり出してくる。トンネルをくぐり約8kmに亘って続いた上り勾配が終わると、3面5線を有する宇陀市の中心駅、榛原駅に達する。榛原駅を出るといよいよ山間部に入り、駅間の距離も長くなる。国道165号と並走しつつ室生口大野駅・三本松駅を通り、宇陀川を渡るとやがて奈良県から三重県へ入る。線路は赤目四十八滝の最寄駅、赤目口駅に達し、山間から名張盆地へと移っていく。名張川を渡ると車両基地を構えた名張駅に到達。駅の売店には関西で売られている商品だけでなく、中日新聞・中日スポーツなど東海・中部地方でよく見られる商品が並ぶようになり、関西(近畿)地方と中部地方の境界的な様子を見せる。利用客もこの駅からは大阪方面ではなく津・四日市・名古屋方面に向かう通勤、通学客が現れてくる。名張駅を出てしばらくは名張の市街地を通り、桔梗が丘駅に至る。この駅を過ぎると線路は住宅街を出て田園地帯を走る。美旗駅を過ぎ、伊賀市に入ると伊賀神戸駅に着く。この駅から伊賀鉄道伊賀線が北に分かれており、伊賀市(旧上野市)の中心部、上野市駅へはここで乗り換えとなる。大阪線の線路は木津川を渡り、さらに山間部を進んで車庫を構える青山町駅に出る。この青山町駅から先、伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅・榊原温泉口駅にかけてはほとんど人家がない完全な山(布引山地)の中を進むことになる。トンネルも多く、この間で全長5,652mの新青山トンネル、1,165mの垣内(かいと)トンネルを通る。新青山トンネルを通り抜けると線路は津市に入る。榊原温泉口から先もしばらくは山間部、トンネルを進むが、大三駅を過ぎたあたりから山を抜け、田園地帯に入る。伊勢石橋駅を過ぎると徐々に住宅も多くなってくる。川合高岡駅まで来るとほぼ平地であり、完全に山を越えたことを実感させられる。この川合高岡駅はJR名松線の一志駅に程近く、当駅への乗換駅となっている。線路はその後伊勢自動車道をくぐり松阪市に入って、左手方向に名古屋線への連絡線が分かれる。中村川を渡ると名古屋線の線路が迫り合流して、大阪線の終点伊勢中川駅に到着する。この駅は大阪線・名古屋線とも始終着駅ではあるが、線路自体はこの駅より山田線となって宇治山田・賢島方面に続いており、伊勢中川より大阪、名古屋方から直通運転する列車も多い。大阪線では、特急・快速急行・急行・準急・区間準急・普通が運転されている。ここでは特急以外の各種別の詳細を示す。なお、特急は「近鉄特急」の項を参照のこと。ラッシュ時の増結運転を考慮して特急停車駅・快速急行停車駅・大阪上本町駅- 高安駅間の準急停車駅のホームは10両まで対応している。大阪上本町駅から青山町駅を越えて山田線に直通運転される快速急行・急行には原則トイレ付きの車両が充当されるが、ダイヤ乱れが起きた場合はトイレのない車両が運用に入ることがある。トイレ付き編成はそれぞれが限定運用となっており、車両運用の都合で準急以下の種別にもトイレ付き車両が充当される列車が存在する。特急以外の各種別は、奈良線のそれらとは異なり難波線に乗り入れる定期運用が存在せず、阪神線との相互直通運転も実施していないため、ごく一部の団体臨時列車を除き、難波線・阪神線とは鶴橋駅で乗り換える必要がある。鶴橋駅では奈良線の列車と接続している。大阪上本町駅や今里駅、布施駅でも乗り換え可能だが、対面乗り換えはできない。難波線に乗り入れていない理由は、難波線の線路容量に大阪線の列車が入線する余裕がないことに加え、大阪線の通勤車は特急車や奈良線を走行する通勤車とは大阪上本町駅発車時点での編成の向きとマスコンハンドルの操作方法が異なるため、協調運転が不可能であり、事故や自然災害で運用が乱れた際に増解結ができなくなったり、車両故障発生時に登坂性能不足で脱出不能となる恐れがあるためである。昼間時以外に大阪上本町駅 - 名張駅(上りのみ)・青山町駅・山田線松阪駅・鳥羽線五十鈴川駅間で運転される。通勤時間帯の長距離速達種別という位置付けである。大阪上本町駅 - 伊勢中川駅間の最短所要時間は1時間41分である(表定速度65km/h)。名張駅以西では阪伊乙特急の停車駅に加えて五位堂駅・桜井駅・室生口大野駅・赤目口駅に停車し、赤目口駅 - 青山町駅間は各駅に停車する。特急の待避は主に榛原駅・名張駅で行われるが、一部に五位堂駅や大和八木駅で待避する列車や、青山町駅 - 大阪上本町駅間の列車については始発駅から終着駅まで無待避の列車もある。旅客案内においては「快速急行」で統一されている。1978年3月のダイヤ変更(布施駅3層化改造工事完成に伴う変更)以前は、この種別が急行として運転されていた(「過去にあった列車種別」を参照)。なお、快速急行への改称後も五位堂駅は2001年3月まで、美旗駅は2003年3月まで通過していた。編成両数は6両編成を基本とし青山町駅以西は最大10両、以東は4・6両編成で運転される。このため名張駅(または青山町駅)で増解結を行う列車もある。2012年3月20日のダイヤ変更で区間快速急行と統合され、室生口大野駅と赤目口駅の2駅が停車駅に追加となり、伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅の3駅が通過となった。2016年3月19日のダイヤ変更までは鳥羽線鳥羽駅まで直通する列車が休日夕方の1本のみ運転されていた。2004年のダイヤ変更までは鳥羽発の列車が夕刻にも設定されていたが、このダイヤ変更で五十鈴川または宇治山田発に区間縮小されて鳥羽発列車は朝方のみとなり、2012年のダイヤ変更で松阪発に区間短縮される形で消滅し、平日夕刻の下り列車も宇治山田行きに短縮され、2013年のダイヤ変更で平日朝方下りの運転が急行への変更・運転区間縮小という形で消滅した。五十鈴川始発列車は以前から設定されていたが、下り列車は臨時列車や延長運転を除いて定期列車で運転されておらず(急行もほぼ同様)、2012年のダイヤ変更で休日下り最終の宇治山田行きを区間延長する形で設定され、2014年9月21日のダイヤ変更で平日朝方や下り最終にも設定されるようになった。途中駅での他種別との連絡については、五位堂駅・大和八木駅・榛原駅または名張駅で準急以下の種別との接続、名張駅・青山町駅では伊勢中川駅発着の普通との接続が考慮されており、大阪上本町駅を毎時15・20・25分に発車する下り列車(休日の21時台は除く。後述の急行も含む)は名張駅で大阪難波駅を毎時30分に発車する名阪乙特急と緩急接続している一方で、上り列車は運転間隔が異なるために朝の一部を除けば名阪乙特急とはほとんど接続しない。近年では急行への変更ないしは減便などで運転本数は年々減少しており、2013年3月17日のダイヤ変更で朝の下り列車が平日の8時台を除いてすべて急行に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更で下り列車は18時台と19時台、上り列車は朝5時台から7時台の一部および平日名張駅17時台始発1本を除いた全列車が急行に格下げされた。また、2016年3月変更までは大和八木駅終着と山田線宇治山田駅発着列車が、2003年までと2012年度は伊勢中川始発の列車(近鉄名古屋駅 - 伊勢中川駅間を急行として運転し、伊勢中川駅で大阪上本町行き快速急行に種別変更したもの)も運転されていた。全線通し運転列車の所要時間は年々増加傾向にあり、運転時間帯も2003年のダイヤ変更以降は上り列車を中心に徐々に縮小傾向にあり、2016年現在では大阪上本町駅に朝9時を超えて到着する列車は1本もない。終日運転されており、大阪上本町駅 - 名張駅・青山町駅・鳥羽線五十鈴川駅間の運転が基本。昼間時は名張駅・青山町駅・五十鈴川駅(一部時間帯は山田線宇治山田駅)折り返しが毎時1本ずつ設定されている。快速急行の停車駅に加え布施駅・河内国分駅・三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車する。河内国分駅と三本松駅・伊賀上津駅・西青山駅のホームの有効長が6両編成分までであることに加えて(ドアカットは行わない)、乗降客が多いが緩急接続ができない布施駅(列車待避は可能)に停車するため、混雑が激しく快速急行や準急の編成両数と運転本数が増える朝ラッシュ時の上りや夕方ラッシュ時の下りには運転されていない。従って、8・10両運転の快速急行を必要としない閑散時間帯の長距離速達種別という位置付けとなっている。榛原駅 - 榊原温泉口駅間は各駅に停車し、昼間時に区間準急・普通が乗り入れず夕方以降も準急の本数が少ない榛原駅 - 名張駅間と、普通列車の本数が激減する名張駅 - 東青山駅間では普通列車としての役割も担う。基本的に4両編成での運転であるが、一部6両編成での運転がある。該当する列車は駅のホームなどに掲示されている。昼間時以外(快速急行運転時間帯)は大和八木駅発着列車と名張駅 - 山田線直通の区間運転、朝ラッシュ終了以降の伊勢方面始発列車はこの種別で運転されており、山田線松阪駅(土休日早朝のみ)・宇治山田駅(早朝と夕方以降)・鳥羽線鳥羽駅(朝1本のみ)始発となる大阪上本町行きのほかに、名張始発の名古屋線近鉄名古屋行き(特急とは異なり伊勢中川駅でスイッチバック)が早朝に1本設定されている。時刻表上では名古屋線直通はこの1本のみだが、早朝に近鉄名古屋発伊勢中川行きとして運転した急行が、伊勢中川駅到着後に伊勢中川発大阪上本町行きとして継続運転する急行が2本設定されている。このほか、本数はごく僅かだが青山町駅 - 名張駅間を普通として運転し、名張駅で大阪上本町行き急行に種別変更する列車もある。途中駅における他種別との連絡は、大多数の列車が河内国分駅や榛原駅で準急以下の種別と相互接続が行われており、名張駅・青山町駅折り返し列車は名張駅(一部時間帯は青山町駅)で伊勢中川駅発着の普通との接続が考慮されている。そのうち、大阪上本町駅を毎時11 - 15分に発車する下りの宇治山田・五十鈴川行きは全列車が名張駅にて名阪乙特急および京伊特急と、伊勢中川駅で名古屋線近鉄名古屋行き急行との接続を図っている一方で、上り列車については2016年3月19日ダイヤ変更で日中における五十鈴川駅での発車時刻が約5分繰り上げられたために連絡が悪くなり、15分程度の連絡待ち時間が生じている。また、夕刻以降の五十鈴川行きも伊勢中川駅で名古屋線急行と連絡しない列車が数本存在する (松阪駅以南発着の快速急行も同様) 。特急列車の待避や相互接続は概ね五位堂駅(特急は通過)・大和八木駅・榛原駅・名張駅で行われるが、布施駅・河内国分駅・青山町駅・東青山駅で特急待避を行なう列車や、青山町駅・名張駅発着の列車は始発駅から終着駅まで無待避の列車もある。待避回数は列車によって異なるが、上りの五十鈴川発着列車を中心に2回行うことが多い。昼間時間帯の乙特急の当線内所要時間が最速で1時間21分(表定速度79km/h)であるのに対して、急行は待避時分を含めて昼間の最速列車で1時間48分(表定速度60km/h)、朝夕の列車は概ね1時間52分(表定速度58km/h)、最大で2時間(表定速度54km/h)かかり、25 - 40分程度の時間差・速度差がある。2003年までは鳥羽・五十鈴川発列車が多く設定されていたが、2004年3月のダイヤ変更でほとんどの列車が宇治山田駅折り返しに変更となった。また、2012年3月20日のダイヤ変更で青山町駅発着列車の約半数が名張駅発着に短縮されている。2014年9月21日のダイヤ変更で宇治山田駅折り返しが一部を除き五十鈴川駅折り返しに変更となった。大晦日の深夜から終夜運転を行う越年ダイヤでは大阪上本町駅 - 宇治山田駅間でほぼ1時間に1本の割合で運転される。時間帯によっては宇治山田駅から普通に種別変更して鳥羽駅まで継続運転される列車や鳥羽駅始発として運転される列車もある。前述のように利用客の多い布施駅や河内国分駅に停車し、快速急行が通過して普通列車の本数が激減する三本松駅や伊賀上津駅・西青山駅・東青山駅に停車するため、快速急行の中でも6両編成以上の増結運転を必要としない列車を中心に順次急行に格下げしていることなどで運転時間帯は年々拡大しており、2013年3月17日のダイヤ変更で平日の夜間に上りの急行が増発、および朝の下り快速急行の大半と平日夜間の上り快速急行の一部が急行に変更されたことから、朝の6時台から平日は22時台まで、休日は19時台までの運転となった。また、2016年3月19日のダイヤ変更で早朝5時台の上り列車と17時台および20時台以降の下り全列車、平日名張駅17時台発1本を除いた夕刻上りの全列車が急行に変更されたため、終日運転する形態となった。かつては大阪市中心部から奈良県・三重県主要駅への速達列車の役割であったが、2003年に河内国分駅停車となり大阪府内の速達列車の役割も担うようになった。現在の急行は1978年3月に設定された2代目である。かつての急行については「過去にあった列車種別」を参照。昼間時以外に大阪上本町駅 - 高安駅・五位堂駅(深夜のみ)・大和八木駅(深夜のみ)・榛原駅・名張駅間で運転。全線通しで運転される列車はなく、大阪近郊での中距離速達種別という位置付けとしている。大阪上本町駅 - 河内国分駅間では鶴橋駅・布施駅・近鉄八尾駅・河内山本駅・高安駅に停車し、普通列車の激減する河内国分駅 - 名張駅間では各駅に停車して、その区間における普通列車としての役割を担う。名張駅発着列車については、名張駅到着後に青山町駅発着の普通として継続運転する列車が数本設定されている(後述の区間準急、普通列車も同様)。大阪上本町駅 - 名張駅間の標準所要時間は1時間40分前後で、同一区間を運転する急行(概ね1時間10分前後)とは約30分弱の時間差があり、奈良線や名古屋線の準急と比較して急行との所要時間や停車駅数での格差が大きくなっている。2012年3月20日のダイヤ変更からは朝・夕ラッシュ時中心の運行になった。それまで昼間時間帯にも準急が運行されていたが、このダイヤ変更ですべて区間準急に置き換えられた。大阪上本町駅 - 高安駅間では朝ラッシュ時は最大10両編成、夕ラッシュ時は最大8両編成で運行されており、高安駅以東では6両編成を基本として一部に4両編成の運転があるため、高安駅にて車両増結・解放を行なう。他種別との連絡については高安駅・河内国分駅で普通列車と、五位堂駅・大和八木駅・榛原駅または名張駅で快速急行、大和八木駅・名張駅で乙特急と相互接続する。2012年3月20日のダイヤ変更より昼間の時間帯の準急と高安駅 - 河内国分駅・榛原駅間の普通を置き換える形で新設された種別で、近鉄では2006年3月21日のダイヤ変更で新設された奈良線に続くものである。準急停車駅に加え、準急が通過する恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅に停車し(すなわち近鉄八尾駅以東の各駅に停車)、これにより、昼間の大半の普通が高安駅発着に短縮されるとともに、大阪府下の中では利用客数の少ない恩智駅・法善寺駅・堅下駅・安堂駅の停車本数を維持しつつこの区間の実効運転本数を削減するなどの合理化を図っている。大阪上本町駅 - 榛原駅間での運転が基本だが、平日の上り列車に1本のみ五位堂発、下り1本と上り2本名張駅発着の列車もある。また早朝に上り列車に1本のみ大和八木発もある。2016年3月19日のダイヤ変更で新たに早朝上りに河内国分発が1本設定された。他種別との連絡については、大多数の列車が高安駅で普通と、河内国分駅と榛原駅で急行と、大和八木駅で乙特急と接続する。編成両数は一部が6両編成のほかは4両編成が基本であるが、大阪上本町駅 - 高安駅間では快速急行や準急の折り返しが区間準急となる場合は8・10両編成もある。この場合は高安駅にて車両切り離しを行なう。快速急行に対して急行がそうであるように、この種別もダイヤ変更毎に運転時間帯が増加しており、2012年の設定当時は日中時間帯のみの設定であったが、準急が高安駅以東では6両編成以下でしか運転できないことと、8両・10両編成での運転が大阪上本町駅 - 高安駅間のみであることもあり、2013年3月17日変更で早朝の一部上り列車が区間準急に変更され、2016年3月19日のダイヤ変更でラッシュ時の準急を置き換える形で朝ラッシュ時の一部と20時台以降にも運転されるようになった。英文表記は Suburban Semi-Express(方向幕などの表記は「 SUB.SEMI-EXP 」)である。各駅に停車する列車で、全線を通しで運転する列車はなく、系統上では名張駅を境に分割されている。大阪側では大阪上本町駅 - 高安駅・河内国分駅間の運転が基本で、五位堂駅・大和八木駅・榛原駅・名張駅発着で運転されるのはラッシュ時と早朝深夜の一部のみである。昼間時の大阪上本町駅発着は1時間あたり5本で、内訳は高安駅折り返しが4本、河内国分駅折り返しが1本である。早朝・夜間およびラッシュ時前後には五位堂駅 - 大和八木駅・榛原駅間、高安駅・大和八木駅・榛原駅 - 名張駅間の区間運転列車もある。朝夕ラッシュ時は大阪市内方面から長瀬駅を最寄りとする近畿大学方面への通学需要があるため、優等列車とは逆方向に向かう列車に激しい混雑が発生する。このため、朝ラッシュ時は下り列車、夕ラッシュ時は上り列車の方がそれぞれ運転本数が多く設定されている。大阪上本町駅 - 高安駅間は昼間時は1時間あたり5本であるが、運行間隔が一定でなく約6分 - 16分とバラつきがある。2003年3月5日以前は1時間あたり上本町駅 - 高安駅間が6本、高安駅 - 河内国分駅間4本であったものが、減便の影響で運転間隔が大きく開く時間帯が生じることとなったためである。また、1970年代までは弥刀駅発着の列車も設定されていたが、現在は高安駅発着に統合されている。高安駅 - 河内国分駅の途中駅は2012年3月のダイヤ変更以降も従来同様1時間あたり4本(普通4本を区間準急3本・普通1本に変更)としているが、ほぼ20分おきに均等間隔で運転される区間準急の間に毎時1本挿入する形で運行しているため大阪上本町駅 - 高安駅間同様に運転間隔は一定しておらず、下りの場合で約8 - 23分(上りは約12 - 20分で下りよりもばらつきが小さい)となっている。三重県内では名張駅・青山町駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間での運転が基本で、昼間時は名張駅発着と東青山駅発着が1時間あたり1本ずつ、朝夕は名張駅と青山町駅発着列車が約30分 - 40分間隔で運転されている。基本的に山田線には乗り入れないが、上り早朝の1本のみ入出庫の関係で名張駅 - 山田線明星駅間での運転がある。名張駅・青山町駅・東青山駅 - 伊勢中川駅間の大半の列車が伊勢中川駅にて名古屋線一般列車との接続が考慮されており、名張駅では名張駅発着(一部は前後に走る青山町駅発着)の急行に接続している。2012年3月20日のダイヤ変更で快速急行が青山町駅 - 榊原温泉口駅間でも通過運転を行うために同列車が運転される時間帯を中心に東青山駅折り返し列車の一部が青山町駅まで延長された。2004年3月に山田線伊勢中川駅 - 宮町駅間がワンマン化されるまでは名張駅・東青山駅 - 明星駅・宇治山田駅間の普通列車がわずかだがあり、これらの下り列車は最初から宇治山田行きであるのに対し、上り列車は伊勢中川行きとして運転され、伊勢中川駅到着後改めて東青山または名張行きとして運転されていた。このほか、明星駅発着列車とほぼ同様の理由で名張駅 - 青山町駅間の区間運転のものも設定されており、これは名張駅で快速急行や準急などに系統変更もしくは行先変更して継続運転することが多い。編成両数は大阪上本町駅発着列車で基本的に6両編成で運転され、日中と深夜には一部列車が4両編成で運転されている。なお、伊勢中川駅発着の列車は榊原温泉口駅 - 伊勢中川駅間の各駅のホーム長が2両分しかないため全列車が2両編成で運転され、基本的には名張駅発着列車は大阪線の所属車両で、東青山駅発着列車は名古屋線所属列車で運転されていたが、2004年以降は名古屋線用の2両編成が減少されたことや山田線のワンマン化に伴い、昼間の列車でも名張駅発着列車同様、大阪線所属編成で運転されている。また名張駅 - 青山町駅間の普通は2両 - 6両編成の列車が混在しているが、青山町駅到着後に折り返しで快速急行となる(その逆もあり)列車は8・10両編成もある。名張駅 - 青山町駅間の列車は日中の乙特急が停車しない桔梗が丘駅の速達性確保や伊賀線(現在の伊賀鉄道)の西名張駅 - 伊賀神戸駅間廃止の補償という側面もあったが、日中の急行の運転本数が1時間あたり2本から3本に増便されてからは大幅に縮小されている。2両編成の列車でもワンマン運転は行っていない。1956年に大阪上本町駅 - 布施駅間が複々線化されるまでは、大阪線の全列車は今里駅を通過していた。2003年ダイヤ変更以前の普通列車は河内国分駅 - 名張駅間では早朝・深夜しか運転されておらず、ほとんどの時間帯で急行(榛原駅 - 名張駅間)・準急列車がその代わりを果たしていた。同年3月のダイヤ変更で日中にも榛原駅発着の列車が設定されたが、2012年3月のダイヤ変更で再び河内国分駅・高安駅発着に短縮された。また、名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車は1989年に増発されたもので、1976年 - 1989年は青山町駅 - 東青山駅間にも昼間時は普通列車が運転されていなかった。越年ダイヤ(大晦日の深夜から終夜運転)では、大阪上本町駅 - 榛原駅(一部名張駅)間でおおむね30分間隔で運転されている。なお、三重県内の名張駅 - 伊勢中川駅間での設定はなく、名張駅 - 榊原温泉口駅では急行が普通列車の役割を担い、大三駅・伊勢石橋駅・川合高岡駅では2009年まで元日の初発繰上げが行われていたものの、実質的に「終夜運転が実施されていない」のと同等である。また、明星発の名張行き普通列車が宇治山田発か鳥羽線鳥羽発に変更される。大阪線では大学受験や行楽シーズンなどで臨時列車や定期列車の延長運転が行われたり、臨時停車を実施している。停車駅の半数以上が6両まで対応ホームの駅であるために6両編成の運転が多い。1982年 - 1987年に、大阪上本町駅から鳥羽駅まで臨時列車として「高速 伊勢志摩号」が運行されていたことがある。途中、鶴橋駅・大和八木駅・東青山駅(年始時期は通過)・伊勢市駅・宇治山田駅・五十鈴川駅に停車し、停車駅数は乙特急より少なく京都直通の準ノンストップ特急なみの停車駅数となっていたが、2610系などの一般車両(20100系「あおぞら」号車両を含む)を使用していたため車両性能の関係上所要時間は乙特急より10分程度遅かった。その後は停車駅は同じで、臨時「快速急行」という種別で運転されていたが、1990年代前半に消滅した。現在の快速急行は、1978年3月15日以前は急行として運転されていた。1960年頃における上本町駅 - 宇治山田駅・近畿日本名古屋駅(現在の近鉄名古屋駅)間急行の大阪線内は、鶴橋駅・大和八木駅・名張駅・伊賀神戸駅・佐田駅(日中の一部列車のみ・現在の榊原温泉口駅)にのみ停車し、2016年現在の阪伊乙特急より少ないものであった。その後、停車駅は以下のように変遷した。1978年3月18日ダイヤ変更で、朝夕の列車は快速急行に改称され、昼間は布施駅に停車するとともに榛原駅 - 伊賀神戸駅間も各駅停車となる別の列車となり、現在の急行となった。1960年頃、上記の急行とは別に、朝夕に運転された榛原駅・名張駅・伊賀神戸駅・松阪駅発着の急行は、大和高田駅・桜井駅・榛原駅にも停車していた。1961年3月頃までに、この列車を分離することにより、上本町駅 - 松阪駅間の列車として「通勤急行」が設定された。その後、1962年6月15日変更で、急行とともに佐田駅が停車駅に追加された。1964年10月1日変更で、停車駅追加のうえ後述の「区間急行(2代)」に改称された。1961年9月21日ダイヤ変更で、通勤急行と準急の中間の性格を持つ種別として、通勤時間帯の上本町駅 - 名張駅間に区間急行が設定された。停車駅は鶴橋駅・布施駅・近畿日本八尾駅・河内山本駅・高安駅・河内国分駅・近畿日本下田駅・大和高田駅・大和八木駅・桜井駅・長谷寺駅・榛原駅・室生口大野駅・赤目口駅であった。1964年10月1日変更で廃止され、後節の「区間急行(2代)」に格上げ、または準急に格下げされた。前述の「通勤急行」を日中にも毎時1本運行するにあたり、1964年10月1日変更で改称のうえ、桔梗が丘駅(同日開業)と美旗駅を停車駅に追加して設定された。その後、以下のように変遷した。1978年3月18日のダイヤ変更で、朝夕の列車は「区間快速急行」(後節参照)に改称され、昼間は布施駅・三本松駅に停車し、現在の急行となった。なお、この時まで準急が1時間に1本名張駅まで運転されており、準急が三本松駅に停車していた。区間快速急行は略して「区間快速」とも呼ばれた。駅構内の自動放送においては、青山町駅以西では「区間快速」と略されて呼称されたが、榊原温泉口駅以東では正式名称である「区間快速急行」の呼称が用いられていた。昼間時以外に大阪上本町駅 - 大和八木駅・名張駅・青山町駅・伊勢中川駅・山田線松阪駅間で運転されていた。大半は大阪上本町駅 - 青山町駅間の運転で、大和八木行きは下り最終のみ、名張駅および伊勢中川駅は上り列車のみの運転であった。快速急行と同様に通勤時間帯の長距離優等種別としての役割を担っていた。快速急行の区間運転版ともいうべき扱いで、快速急行(2012年ダイヤ変更以前)の停車駅に室生口大野駅と赤目口駅が追加され、(現行の)急行と違って三本松駅を通過していた(乗降客数が両隣の2駅に比べて著しく少ないことに加え、ホームが6両対応であることから8・10両編成で運用されることのある区間快速急行が停車できなかったため)。ドアカットも行われなかった。赤目口駅 - 榊原温泉口駅間は各駅停車であった。青山町駅以西最大10両、以東4・6両編成。深夜に運転される大阪上本町発大和八木行の区間快速急行も存在しており、この区間の停車駅は快速急行と同一であるが、区間快速急行として運転されていた。越年終夜運転の際は、青山町駅・松阪駅発着の列車を延長する形で山田線宇治山田駅、鳥羽線五十鈴川駅まで延長された。名張駅以東の停車駅は快速急行・急行と同一。特急の待避は主に榛原駅か名張駅で行われていたが、大阪上本町駅 - 青山町駅間では無待避の列車もあった。一部は大和八木駅や東青山駅でも特急の待避をしていた。2011年3月時点では、全国の鉄道事業者をみてもこの列車種別は近鉄のみの存在であった。英文表記は Suburban Rapid Express(方向幕などでは SUB.RAPID EXP )。2012年3月20日のダイヤ変更で前述の快速急行と統合され名称上は消滅した。ただし大阪上本町駅 - 青山町駅間に限れば停車駅は区間快速急行のものがそのまま引き継がれている。大阪線における特急以外の種別の昼間時(10 - 14時台)の運転本数はおおむね以下のようになる。昼間時の大阪上本町駅 - 青山町駅間の各駅は1時間あたり最低3本以上の停車本数が、青山町駅 - 伊勢中川駅間は1時間あたり最低2本の停車本数が確保されている。2016年4月現在、大阪線所属の一般車両は5800系・5820系・2680系をのぞくトイレ付の車両が明星車庫に、それ以外の車両は高安車庫にそれぞれ所属している。早朝・夜間には、以下の名古屋線所属の車両が大阪線の一部列車にも使用されている。全て片側4扉車両となっている。なお、現在編成全車が名古屋線の所属となっている2000系・2050系は当初は大阪線の所属となっていた。これら2形式は1480系・2400系・2410系・2430系の冷房改造工事・車体更新工事などに伴う車両不足を補うために新製冷房車として大阪線に投入されたもので、工事の進捗に伴って順次名古屋線へ転属していった。特筆される点として、大阪線所属の通勤車両は2410系など1960年代後半から1970年代前半にかけて製造された車両の大半が2016年(平成28年)4月時点でも健在である。これは、平均駅間距離が長く、急勾配区間を多く抱える路線である関係上、回生ブレーキによる省エネ効果があまり期待ないためで、大阪線では2003年に5820系5852F・9020系9051Fが投入されて以降は通勤車両の新製投入は行われておらず、奈良・京都線系統から8810系・9200系の一部を転属させる形で賄われており、また大阪線では単独3連での運用が無くなったことから余剰となった2430系3連の一部が名古屋線に転出、その一部はワンマン改造を行って2444系となっている。2800系も半数以上の編成が名古屋線に転属しており、3両編成は1998年までに、2両編成は2013年までに全車が名古屋線に転属している。また、高安駅・五位堂駅 - 榛原駅・名張駅間は車両の定期検査や車体更新などを完了した後、特急車両や大阪線所属車両のみならず名古屋線所属車両や、奈良・京都線所属車両の試運転列車が不定期で運転されることがある。標準軌線区の各線で運用されている。「名古屋線」の項も参照。大阪線の一般車両については特に4両・6両編成においてはトイレの有無で車両運用と運用区間が細分化されており、4両編成・トイレ無し、4両編成・トイレ付き(ロングシート)、4両編成・5200系、6両編成・トイレ無し、6両編成・L/Cカーといった区分がなされている。ダイヤ編成などの関係から、大阪線所属の車両が名古屋線の一部列車にも使用されており、4両編成では1400系 (1407F)・2800系 (2817F)・2610系が、2両編成ではシリーズ21の9020系9051F以外の大阪線所属車両が入線する。全列車が2両編成で運転する名張駅 - 伊勢中川駅間の普通列車で運用される編成は基本的に限定されており、名古屋線車両の間合い運用をのぞけば2410系2422F - 2426F、2430系2432F、1420系、1422系・1430系、1253系で運用されている。名古屋線車両については抑速ブレーキを備えた上記の2両・4両編成が急行とその折り返しの普通でそれぞれ1往復入線し、増結編成は名古屋線に所属する2両編成の中でワンマン対応でない1430系1433F・1434F、1233系1242F・1243F・1247F・1248F・1260Fと2800系2812F・2814Fに限定して入線するが、1810系や9000系は検査入場回送を除いて原則入線しない。上本町駅 - 布施駅 - 桜井駅間は大阪電気軌道(大軌)の手で、桜井駅 - 伊勢中川駅間は参宮急行電鉄(参急)の手で建設され1930年に全通した。1975年に全線複線化されたが、この時開通した西青山駅 - 東青山駅間の新青山トンネル (5,652m) は日本の大手私鉄では最長である。大軌が初めに建設した区間のうち布施駅 - 八木駅間には、奈良線・畝傍線(今の橿原線)によって形成された大阪から橿原神宮へ向かう路線をショートカットすることや、この地域におけるテリトリーを確保する目的があったとされる。そのため、開業時の終点となった八木駅は現在の大和八木駅がある位置ではなく、先行して開業していた畝傍線の八木駅、すなわち現在の八木西口駅に合流する形となっていて、上本町から橿原方面への直通を意識した線形とされていた。しかし、並行して大阪鉄道線(現在の近鉄南大阪線)が1929年までに開通したため、両社が関西急行鉄道に統合される1943年までは、橿原と吉野への参拝客・行楽客輸送を巡って競争関係にもなった。一方で参急が建設した桜井駅 - 参急中川駅(現在の伊勢中川駅)と、大軌が建設した八木駅 - 桜井駅間は、大阪から現在の山田線と合わせて伊勢神宮への快速参拝ルートを造り上げようという目的から建設が行われることになった。この免許収得に関しては、1922年に近鉄田原本線の前身である大和鉄道(この時の営業区間は王寺駅 - 田原本駅〈現在の西田原本駅にあたる〉間で、田原本駅 - 桜井駅間が建設中であった)が既に桜井駅 - 名張駅間で新線敷設の免許を取得していたため、大軌が同社を子会社化し、その免許線の延長申請を出させるという手法がとられた。1927年に予定通り大和鉄道は桜井駅より名張駅を経て宇治山田駅までの免許を得て、それを新設会社の参急に譲渡した。同時に大軌自身の手で、八木駅 - 桜井駅間接続線の免許も収得した。1929年、大軌は参急の開通に先駆けて、八木駅から桜井駅にいたる区間を開業させ、このとき八木駅も現在の大和八木駅の位置に移転し、旧駅は八木西口駅という畝傍線の中間駅(運賃計算上は八木駅と同一)になった。とはいえ、上本町駅から橿原方面への直通列車の運転を考慮し、八木西口駅へ向かう旧線も八木線と畝傍線を結ぶ連絡線として存続した。参急が建設を担当した区間に際しては、最短時間で大阪と伊勢を結ぶため、山岳地帯をトンネルで抜ける線形を採用した。それでも33.3‰(1/30)という、登山鉄道ではない一般の鉄道にとっては急勾配となる区間が随所に発生し、同線に使用される電車はその最初となる2200系以降、勾配対策が重要な鍵となった。桜井駅 - 長谷寺駅間では長谷鉄道の路線がすでに並行して存在していたが、大軌では同社を参急線開業前の1928年に合併し、参急線開業後の1938年まで長谷線として営業を続けた。また、名張駅 - 伊賀神戸駅間で並行路線を有していた伊賀電気鉄道も1929年に大軌が合併(直後に参急へ賃貸、1931年に譲渡)して伊賀線とし、並行区間(西名張駅 - 伊賀神戸駅)は1964年に廃止した。なお、国が建設すべき路線を定めた改正鉄道敷設法の81.には、「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道及名張ヨリ分岐シテ伊賀上野附近ニ至ル鉄道並榛原ヨリ分岐シ松山ヲ経テ吉野ニ至ル鉄道」が示され、1929年 - 1935年に順次名松線として松阪 - 伊勢奥津間が部分開業していたが、近鉄大阪線・山田線それに伊賀鉄道伊賀線の敷設によってその意義を失い、以後国鉄線がこの地域に開業することはなかった。1938年に関西急行電鉄(後に参宮急行電鉄へ合併)によって現在の近鉄名古屋線が完成し、同線とあわせて名阪都市間輸送の一役も担うようになった。大軌と参急の合併によって関西急行鉄道が発足した時に線名の整理が行われ、大軌桜井線と参急本線の伊勢中川駅以西をまとめて大阪線にし、参急本線の伊勢中川駅以東の区間は山田線となった。2015年11月10日調査による主要駅の乗降客数は次の通り。
出典:wikipedia
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