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小浜線

小浜線(おばません)は、福井県敦賀市の敦賀駅から京都府舞鶴市の東舞鶴駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。正式な起点は敦賀駅だが、列車運行上は東舞鶴駅から敦賀駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。これは、敦賀駅で接続する北陸本線や東舞鶴駅で接続する舞鶴線と方向をあわせたためである。若狭湾に沿って敦賀市・小浜市・舞鶴市の各都市を結んでおり、沿線には海水浴場が多く、三方五湖や名勝蘇洞門、国宝明通寺、若狭彦神社などの社寺といった観光地を控えていることから行楽・観光路線となっているが、沿線の通学路線としても利用されている。近年、都市間輸送については大阪市内を発着する近鉄バス・福井鉄道の高速バス(わかさライナー)や、近江今津駅で新快速に接続する若江線(西日本JRバス)に対し、利便性などの差があるため劣勢となっている。各駅にはワンマン列車用のほか、車椅子専用の乗車位置が別途に設けられているが、これは2003年末に125系の座席増設改造を行ったことで車椅子での車内移動が困難になったための措置である。福知山支社が管轄する東舞鶴駅を除いて、金沢支社敦賀地域鉄道部が管轄している。北陸本線と接続する敦賀駅では基本的に一番西端の1・2番線に発着し、発車後すぐ単線に変わり、しばらく北陸本線と並走する。ここから場所によっては舞鶴若狭自動車道の高架や築堤が現れる。そしてやがて市街地を外れ、北陸本線と別れた後に右へ緩くカーブを描き、県立敦賀工業高校の最寄り駅である西敦賀駅に着くが、同駅到着前の進行方向左手には北陸本線の上り線(鳩原ループ)が高い位置を通っている。西敦賀駅出発後黒河川橋梁を渡り、次第に山間部へと入っていくこと左へ右へカーブを描きながら西進した後、島式ホーム1面2線で交換可能な粟野駅に着く。粟野駅を出て左へカーブを描き、ほどなく進むと進行方向右手から福井県道225号が寄り添い、しばらく並走する。そして並走しなくなると小浜線は再び左へカーブを描き、最初の佐田トンネルを抜け、さらに右へ緩くカーブを描いて東美浜駅に差し掛かる。同駅到着前には進行方向右手に国道27号美浜東バイパスもやや離れた位置に現れる。同駅を出てほどなく進み、右へカーブを描き始めたところで先ほどの美浜東バイパスをアンダークロスし、山上・腰越の両トンネルを抜け、さらに左へ右へカーブを描きながら勾配を駆け下りると耳川を渡り、相対式ホーム2面2線の美浜駅に着く。ここからは国道27号に加え、小浜線よりも海側を走る若狭梅街道とも並走する。同駅を出るとほぼ視界も開けた田園地帯の中を進み、次いで三方五湖の一つである久々子湖が車窓右手に見え始めると左へ緩くカーブを描き、美浜町と若狭町の境目を抜けるとすぐに県立美方高校の最寄り駅である気山駅に着く。小浜駅を出発すると、大小2つのトンネルを抜け、2本目を抜けると進行方向右手に若狭湾が見える。そして国道27号と並走しながらほぼ直進した後、勢浜駅に着く。各駅に停車する普通列車のみが運転されており、特別料金が必要な列車や快速列車といった速達列車は運行されていない。おおむね1 - 2時間に1本程度(小浜発東舞鶴行きは3時間ほど開く時間帯あり)で、一部をのぞきワンマン運転を実施している。原則として東舞鶴駅 - 小浜駅 - 敦賀駅間の全線直通を基本とする。途中駅で始発・終着の設定があるのは小浜駅のみで、朝に敦賀発小浜行きと昼過ぎにその折り返しの小浜発敦賀行きが1往復、夜間滞泊運用の小浜発敦賀行きが5・6時台(6時台は敦賀駅から回送)、敦賀発小浜行きが21・22時台、小浜発東舞鶴行きが5・6時台、東舞鶴発小浜行きが21時台に設定されている。朝5時台に舞鶴線西舞鶴発敦賀行きと夜20時台に敦賀発西舞鶴行きがそれぞれ1本設定されている。2006年10月20日までは舞鶴線・山陰本線と直通運転を行い綾部駅・福知山駅に乗り入れる列車もあった。昭和30年代後半に相次いで開業した西敦賀駅・東美浜駅・気山駅・藤井駅・若狭有田駅・勢浜駅・三松駅は利用客が少なく、1990年代後半までは普通列車でも通過する列車が何本かあった。2007年3月18日から敦賀発22時半の最終列車が快速列車として運行されていたが、2009年3月14日のダイヤ改正で22時発の普通に変更され、快速時代の通過駅における利便の改善が図られた。海水浴シーズンや松葉・越前ガニシーズンには大阪・京都方面から臨時列車が多数乗り入れており、2007年度までは京都駅 - 東舞鶴駅間の特急「まいづる」が小浜駅まで臨時に延長運転されていたことがあった。また、名古屋方面からも急行「エメラルド」が設定されていた。毎年8月上旬、若狭本郷駅近傍ではスーパー大火勢というイベントが開催されるため、開催当日は通常ダイヤに加え、花火終了後を中心に「スーパー大火勢」と称した臨時列車が運転される。2007年10月から2008年3月まで、沿線を舞台とした連続テレビ小説『ちりとてちん』が放送されたことにより観光客の増加が見込まれたため、放送期間中の土曜・休日のみ敦賀発東舞鶴行と東舞鶴発小浜行(小浜駅から敦賀行き定期列車)の快速や、小浜発若狭高浜行(敦賀発定期列車の延長)、若狭高浜発敦賀行の普通が運転され、放送終了後の同年4月以降も小浜発若狭高浜行をのぞく3本が6月1日までの土曜・休日限定で運行が継続された(ただし、若狭高浜発敦賀行の列車は小浜発敦賀行になった)。また、2009年も4月4日から11月3日までの土曜・休日限定で同様の臨時列車が運行された。2011年は大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』のなかで、江の姉である初のゆかりの地であることから、3月19日から同様に臨時列車が運転されている。なお快速列車の運転については、設定の前年に当たる2006年11月12日に小浜市が社会実験として「わかさ路快速」の試験運行が団体列車扱いで実施されている。小浜駅 → 長浜駅間と逆方向の運行ではあったが、試験運行時に設定された小浜駅 - 敦賀駅間の所要時間は現在の臨時快速列車と同じ52分であった(途中停車駅は上中駅・三方駅・美浜駅・敦賀駅)。毎年5月に開催される(2009年のみ秋に開催された)ウォーキングイベント「若狭・三方五湖ツーデーマーチ」の開催当日は、「若狭・三方五湖ツーデーマーチ」が敦賀発小浜行き1本(2号)と午後に小浜発敦賀行き3本(1・3・5号)が運転される。小浜線直流電化後の2003年以降は列車増発による車両不足のための応援として、113系4両編成が小浜線に入線していた。2011年は113系に代わって敦賀地域鉄道部所属の521系の4両編成で運転された。1922年全線開通当初は、敦賀駅 - 小浜駅間と小浜駅 - 新舞鶴駅(現在の東舞鶴駅)間でそれぞれ6往復運転され、このうち2本が京都駅まで乗り入れていた。北陸・名古屋方面と山陰を結ぶルートとしても利用され、1961年から金沢駅 - 出雲市駅間に準急「わかさ」が、1964年12月から金沢駅 - 出雲市駅間で「あさしお」が、1966年から名古屋駅 - 出雲市駅間に小浜線・宮津線経由の急行「大社」がそれぞれ運転を開始。福井駅 - 天橋立駅間に「はしだて」が1982年より1992年まで運行されていた。また、1999年10月1日まで急行「わかさ」が京都駅・東舞鶴駅 - 敦賀駅間に(京都直通は1996年まで)運転されていたが、その後電化されるまで優等列車の運転はなくなっていた。こうした事情から「北陸と山陰との架け橋」として謳われたことがある。ただし、電化後は前述の通り休日などに一部の臨時列車が小浜駅に乗り入れる程度で、本格的な優等列車の運行はなされていない。小浜線の中間駅で最も利用者の多い小浜駅から京都駅へは湖西線経由と山陰本線経由で距離は大差ないが、直通列車は山陰本線経由のみ設定されていた。ただし、京都駅発着の急行「丹後」など直通の優等列車は小浜線内のみ各駅停車となるなど、都市間輸送と線内の地域輸送を兼ねている側面もあった。2001年3月2日までは小浜駅の最終が22時台であったが、繰り上げになった。電化以前は2 - 4両での運用が多く、敦賀方面から来た列車が小浜駅で列車の切り離しを行い、前1両のみが東舞鶴行き(1992年から4年間は天橋立行き)に、後2両は折り返し敦賀行きになる運用もあったが、電化以降は1 - 2両の運用がほとんどで小浜駅での列車切り離しもなくなった。また、北陸本線の湖北地区が直流化したさいに同区間との共通運用が図られた結果、近年は2両での運用が増えているほか、平日のみながら昼間の3 - 4両での運用が復活している。2010年3月13日以降は、全列車が125系電車で運転されている。電化された2003年3月15日から2006年10月20日までは、125系のほか、小浜線用に塗装された113系電車の体質改善工事施工車(福知山電車区W41 - 43・46編成)も、2009年3月14日から2010年3月12日までは521系電車も運用されていた。ただし521系は改正後も臨時列車や代走で運用されることがある。通常運用される一般車両はすべて転換式クロスシートである。また113系についても、2009年秋に入線した京都総合運転所所属のL11編成をのぞいて、転換式クロスシート化された体質改善工事施工車が使用されている(2006年10月以降の入線実績は、福知山電車区W43編成、京都総合運転所L11編成・C08編成)。このほか、観光シーズンや祝休日などの多客期には「まいづる」が東舞鶴駅 - 小浜駅間が延長運転された際には、183系電車が乗り入れていた。小浜線の電化計画は1970年に小浜市の総合開発計画に盛り込まれ、若狭湾沿岸部の嶺南地区を中心に電化を求める声が強かったが、2000年7月から電化工事に着手し、2003年に電化された。総事業費は約101億円で、福井県が27億5700万円、沿線の8自治体が13億7800万円、京都府と舞鶴市で1億8000万円を負担し、残りの約57億円は民間で負担した。このうち民間の負担については、沿線の美浜町・高浜町・大飯町(当時)に原子力発電所を持つ関西電力・日本原子力発電・北陸電力が合計54億円を福井県に寄付している。ただし、電化費用を抑えるため変電所の数を通常より減らし、80kmを超える路線ながら、変電所は若狭高浜駅・小浜駅・十村駅・粟野駅の各駅構内に設けられた4箇所しかなく、駅の分岐器にはスプリングポイントなども残るうえ、制限速度25km/hの区間があるなど線路の規格が比較的低いため、加速度や最高速度を落として運転している。なお、電化の構想が挙がった当初から具体化に至るまで、交流電化とする計画は無かった。国が建設すべき鉄道を定めた「鉄道敷設法」が1892年に公布されたが、1895年1月に衆議院議員小畑岩次郎が同法の北陸線の改正を提案し、同年3月に鉄道敷設法が改正され、北陸線の中に「京都府下舞鶴ヨリ福井県小浜ヲ経テ敦賀ニ至ル鉄道」が追加され、敦鶴線(とんかくせん)と呼ばれていた。1887年に小浜鉄道が設立され、敦賀・大津・舞鶴を結ぶ合計約153kmの路線として計画され、同年に仮免状が交付されて1年6か月の有効期間内に本免許状を申請しなければならなかったが申請することができず、1900年に仮免状が失効し民間資本での建設は断念された。1902年に再び鉄道敷設法の改正により、舞鶴・小浜・敦賀の鉄道が盛り込まれ、日露戦争後に日本海沿岸の輸送路の確保と、山陰と北陸を結ぶバイパス路線としても期待され、早期着工する第一期線として位置づけられた。中間駅のうちJR西日本直営駅は小浜駅のみであり、同社関連会社による業務委託駅も存在しない。それ以外の駅のうち、美浜駅・三方駅・大鳥羽駅・上中駅・東小浜駅・加斗駅・若狭本郷駅・若狭和田駅・若狭高浜駅・青郷駅の10駅が簡易委託駅、残りの11駅は無人駅である。

出典:wikipedia

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