『トーマの心臓』(トーマのしんぞう)は、萩尾望都による日本の漫画作品。漫画雑誌『週刊少女コミック』1974年19号から52号に連載された作品で、フランス映画『悲しみの天使』をモチーフとしてドイツのギムナジウム(高等中学)を舞台に、人間の愛という普遍的かつ宗教的なテーマを描いた。連載初回の読者アンケートが最下位だったため、編集長から打ち切りを宣告されたが、「もう少しで終わりになるから」とかわしているうちに『ポーの一族』が単行本化され、初版3万部が3日で完売し、『トーマの心臓』の評判も上がり連載は最終回の33回まで続くこととなった。番外編に「訪問者」「湖畔にて - エーリク 十四と半分の年の夏」、姉妹編に『11月のギムナジウム』「小鳥の巣」(ポー・シリーズ)がある。舞台・映画化もされており、2009年には萩尾望都のファンであることを公言している小説家・森博嗣によりノベライズ化された。ある雪の日、シュロッターベッツ・ギムナジウムのアイドルだったトーマ・ヴェルナーが陸橋から転落死し、ギムナジウム中が騒然となる中、委員長であるユリスモール・バイハン(ユーリ)のもとにトーマからの遺書が届く。事故死とされていたトーマの死が自殺であること、トーマが死を選んだ理由が自分自身にあることを知り、ユーリはショックを受ける。数日後、ギムナジウムに亡くなったトーマとそっくりの転校生、エーリク・フリューリンクがやってくる。エーリクを見るたびにユーリはトーマと重ねてしまい、怒りや憎しみをあらわにすることすらあるのだが、そこにエーリクの母の事故死の知らせが入り、悲しみにくれるエーリクをユーリは慰め、これを機会に2人は次第に心を通わせていく。エーリクはユーリへの気持ちを深めていくが、心の傷を呼び覚まされたユーリは再びかたくなな態度を取るようになる。しかし、ひたすらユーリを愛し信頼を得たいと願うエーリクの言葉から、ユーリは、トーマがユーリの罪を自ら引き受け、あがなおうとし、そのために自分の命を代償にしたのだと悟る。そうしてユーリは、自分を取り巻く多くの愛と幸福、そして自分を見守っていた周囲の人々に気づく。神はどんな人をも愛し、許していることを知ったユーリは、神父となるために神学校への転校を願い出、ギムナジウムを去る。『トーマの心臓』の後日譚。『ストロベリーフィールズ』(新書館、1976年11月)に書き下ろされた。ユリスモール・バイハンが転校してすぐの夏休み、エーリク・フリューリンクは義父のユーリ・シド・シュヴァルツと湖畔で過ごしていた。2人はなかなか亡くなったマリエの話をすることができなかったが、ユーリ・シドがエーリクはマリエによく似ていると言ったことからそのような悩みもなくなる。ユーリから手紙が来た。エーリクはうまく返事を書けない。オスカー・ライザーが訪ねてくる。神学校へ行ってユーリに会ってきたと言う。エーリクは考える。失ったものは帰ってくるのだろうか、いつか思いは実を結ぶのだろうか、と。『トーマの心臓』のオスカー・ライザーがシュロッターベッツ・ギムナジウムに来るまでの話。漫画雑誌『プチフラワー』1980年春の号に掲載された。母親を殺害した父親と初めて親子らしい日々を過ごす1年間を描いたロード・ムービーのような作品で、独立の作品としても人気が高い。オスカー・ライザーは母ヘレーネ・ライザーからは溺愛され、父グスタフ・ライザーからは無視され、家庭内に居場所がないように感じていた。それでも家族がうまくやっていると思い込んでいたが、一方で自分は父親の子供ではないのではないかと疑っていた。それは事実で、子供が欲しかった母は大学時代の旧友ルドルフ・ミュラーの子を産んだのだった。父グスタフはそれを疑ってはいたが、妻に事実を告げられ、衝動で撃ち殺してしまう。そしてオスカーは父が母を殺したこと、自分が父の子供でないことを悟る。オスカーは父を必死に警察からかばうが、父はオスカーと飼い犬のシュミットを連れて逃亡の旅に出る。旅に出てから2人は初めて親子らしい時間を過ごし、きずなが深まっていく。しかし殺人のプレッシャーから父は片目が見えなくなり、母にそっくりのオスカーにも当たってしまう。そして、実の父ミュラーが校長を務めるシュロッターベッツ・ギムナジウムにオスカーを預けると、父は南米へと去ってしまう。オスカーは父が自分を捨てたことを分かっていた。シュロッターベッツ・ギムナジウムに入ったオスカーは、父グスタフの子供になりたかったと涙を流す。『トーマの心臓』の姉妹編。漫画雑誌『別冊少女コミック』1971年11月号に掲載された。ごく短編であるためか、キャラクターの心理描写よりストーリー性がまさった作品になっている。この作品は『トーマの心臓』の原型であると長い間多くの読者に信じられていた。『11月のギムナジウム』が雑誌に掲載されてから約3年後に『トーマの心臓』の連載が始まったとき、そのキャラクターや舞台設定が前者に酷似していたことから、読者の多くが、『トーマの心臓』は『11月のギムナジウム』をもとに生まれたものと解釈していた。しかし、1981年7月に雑誌『grape fruit(グレープフルーツ)』(新書館)に掲載された「しなやかに、したたかに」というエッセイの中で作者自身が明らかにしたところによると、『11月のギムナジウム』が雑誌に載る3年ぐらい前から、まだ仕事が少なかったころに発表の当てもなく趣味で描き始めたのが『トーマの心臓』で、その後同じキャラクターだけ集合させて別のストーリーにする着想を得て描いたのが『11月のギムナジウム』だった。しかし、このエッセイは一部の読者にしか知られていなかったため、2007年に出版された作品集の中で作者から改めてエピソードを紹介されたことにより初めて知ったという読者が多い。制作着手の順番と発表の順番が逆になったのは、本作品が短編であることから雑誌掲載の機会が得やすかったためである。11月の第1火曜日の午後、ヒュールリン全寮制ギムナジウムにエーリク・ニーリッツが転入してきた。転入早々、このギムナジウムのアイドル、トーマ・シューベルとうりふたつのため大騒ぎとなり、短気で気の強いエーリクはトーマの無礼な態度に怒り、トーマを殴ってしまう。家庭内の問題で密かに悩んでいたエーリクは、授業中、オスカー・ライザーに図星をさされたため思わず彼を殴り教室を飛び出し、草地で授業をエスケープしていたトーマと偶然遭遇する。トーマは15年前に死んだ兄とエーリクは特徴がそっくりであると告げ、仲直りをしようともちかけるがエーリクはそれを拒否する。トーマはエーリクと自分の関係を学級委員長のフリーデルに打ち明ける。その後、トーマは雨の週末休暇にエーリクになりすまして彼の母親に会ってきたが、その際にひいたカゼがこじれて肺炎にかかり、数日後、病死する。そして、トーマの葬儀の翌日、フリーデルはエーリクにすべてを打ち明ける。伝説の吸血鬼“バンパネラ”を主人公とする『ポーの一族』シリーズの第6作目。漫画雑誌『別冊少女コミック』1973年4月号 - 7月号に掲載された作品で、『トーマの心臓』『11月のギムナジウム』とともに“ギムナジウムもの”としても知られる。『ポーの一族』シリーズは当初「ポーの一族」「メリーベルと銀のばら」と「小鳥の巣」の3部作として構想されたものだが、「ポーの一族」構想メモには「小鳥の巣」の主要登場人物であるキリアン・ブルンスウィッグやマチアス、ロビン・カーなどの名前はなく、後に『トーマの心臓』に登場するオスカー・ライザー(キリアン役)や『11月のギムナジウム』に登場するフリーデル委員長の名前が記され、さらに「レオンハルト」(マチアス役)という名前が記された少年には『トーマの心臓』のエーリク・フリューリンクのイラストが描かれており、「ポー・シリーズ」の構想の中に『トーマの心臓』の構想を持ち込んだ形跡が認められる。また、飛び降り自殺(あるいは墜落事故死)した少年とその事件に関わる別の少年、さらにその事件に関心を寄せる転校生というストーリー展開の類似も、この作品の元が『トーマの心臓』(の構想)であることを示している。3月もそろそろ終わろうとする頃、ガブリエル・スイス・ギムナジウムにエドガー・ポーツネルとアラン・トワイライトがイギリスから転校してきた。2人は伝説の吸血鬼“バンパネラ”で、何かしらの目的があってやってきたらしい。2人は2年前の5月の創立祭の前日、同じくイギリスからの転校生ロビン・カーが張り出し窓から落ちて死に、翌年も別の生徒が創立祭の前日に沼で溺れて死んだことから、“魔の五月”の伝説が校内でうわさされていることを聞く。やがてエドガーは、ロビン・カーの死にはクラスのお山の大将であるキリアン・ブルンスウィッグが絡んでいたことを知る。その後、エドガーとアランは創立祭の前日、マチアスという少年に正体を見破られ、やむなく彼を仲間に加える。翌日、行方不明だったロビン・カーの死体が浮かび上がったため創立祭は中止になり、その混乱の中、目覚めたマチアスはキリアンのノドにかみつくが、委員長のテオドール・プロニスに枯れ枝を突き刺されたため消滅する。そして、エドガーとアランは何事もなかったかのようにギムナジウムを去っていく。男性だけの劇団Studio Life、倉田淳の脚本・演出により1996年初めて舞台化。耽美的な魅力で大成功をおさめ、劇団の方向性を決定付けたといわれる。数年に一度連鎖公演として2作を同時期に同一の劇場の空間で日替わりで上演するなど、世界観をより一層深めている。映画『1999年の夏休み』は、『トーマの心臓』を原案にした金子修介監督の青春映画。公開は1988年3月26日。出演者は4人だけで、(公開当時の)近未来を舞台に少女が少年を演じるという大胆な演出がなされている。スタッフロールには萩尾の名も原作名も全くクレジットされていないが、監督は翻案という形で萩尾望都にきちんと製作許可を取っている。製作当初、押井守が監督に「決定版みたいなのをこんなに早くつくっちゃってよかったのか?」という懸念を抱いたという逸話がある。なお、角川ルビー文庫からノベライズ版(ただし、エンディグを主として大幅に映画と違いがある)が刊行され、脚本を担当した劇作家の岸田理生が執筆を担当した。
出典:wikipedia
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