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妙高 (重巡洋艦)

妙高(みょうこう/めうかう)は、日本海軍の重巡洋艦。一等巡洋艦妙高型の1番艦である。艦名は新潟県の妙高山に因んで命名された。なお、名称は海上自衛隊のこんごう型護衛艦の3番艦「みょうこう」に受け継がれている。2番艦那智の方が妙高より先に竣工したため『那智級』と呼ばれることもあった。平賀譲造船中将の設計した艦級であり、主砲門数が多い。その代価に防御を軽視していたという評価もあるが、同時期の米重巡より重装甲であった。1923年(大正12年)12月10日、横須賀で建造予定の一万トン級巡洋艦に妙高、呉工廠建造予定の同型艦に那智の艦名が正式に与えられる。妙高、那智の2隻は同日附で艦艇類別等級表に登録された。妙高は1924年(大正13年)10月25日に横須賀海軍工廠で起工。1927年(昭和2年)4月16日に進水。即位したばかりの昭和天皇が行幸した進水式だった。妙高進水後の4月28日、同船台で高雄型重巡洋艦高雄の建造が始まった。妙高は1929年(昭和4年)7月31日に竣工。起工は妙高の方がはやかったが、竣工は那智の方が約8ヶ月も早かった。1930年(昭和5年)10月26日神戸沖で実施された特別大演習観艦式で、昭和天皇は戦艦霧島を御召艦とし、妙高型4隻(足柄《先導艦》、妙高、那智、羽黒)は供奉艦を務めた。1937年(昭和12年)の夏には日中戦争の上海上陸作戦に従事。妙高型4隻で第五戦隊を編成した。昭和16年(1941年)12月8日の太平洋戦争開戦直後は比島部隊(指揮官高橋伊望中将/第三艦隊司令長官:旗艦足柄に所属する。開戦劈頭、妙高、那智、羽黒はミンダナオ島ダバオ飛行場空襲を敢行する空母龍驤の航空隊を「帽触れ」で見送った。ダバオ、ホロ攻略作戦に従事した。昭和17年(1942年)1月4日、ダバオのマララグ湾に艦隊は停泊していた。主な所在艦は、妙高、那智、羽黒、長良、那珂、神通、瑞穂、千歳、平安丸、南海丸で、油槽船玄洋丸は駆逐艦2隻(雪風、早潮)を接舷させて燃料補給を行っている。妙高の近くには神通、妙高、千歳が停泊していた。11時55分、ボルネオ島サマリンダから発進したコム少佐率いる8機のB-17が艦隊を爆撃。妙高前甲板左舷に爆弾が命中し、前部弾薬庫に注水。戦死20名・負傷者40名(戦死35名とも)、第五戦隊司令官高木武雄少将も爆風で軽傷を負った。ダバオ飛行場は連日の豪雨で使用不能であり、また空襲への油断から対空警戒がおろそかになっており、砲員が主砲塔にはいろうとして混雑していた場所に爆弾が命中したことも、被害が大きくなった一因だった。妙高は大型軍艦としては、太平洋戦争で最初に損害を受けた艦となった。第五戦隊旗艦は那智に変更、妙高は台湾を経て佐世保港に回航され、修理を行った。妙高被害報告を受けた宇垣纏連合艦隊参謀長は「(敵機は)アンボン方面より來りたるものか」としてアンボン島方面の攻略を検討している。修理を終えた妙高は2月20日佐世保を出撃、ただちにスラバヤ方面への進出を下令された。2月26日、蘭印部隊指揮官高橋伊望中将(旗艦足柄)は合流したばかりの妙高をふくむ重巡2隻(足柄、妙高)・駆逐艦2隻(雷、曙)を率いてボルネオ島マカッサルを出撃、27日には第五戦隊・第二水雷戦隊・第四水雷戦隊と連合国軍艦隊が交戦した事を知り、戦場へ急行した。だがスラバヤ沖海戦第一次昼戦・第二次昼戦等には間に合わず、戦闘を終えた第五戦隊・第二水雷戦隊・第四水雷戦隊各隊と合流して輸送船団の護衛に従事した。3月1日、第五戦隊部隊(那智、羽黒、山風、江風)は連合国軍艦隊残存艦のイギリス海軍の重巡エクセター ("HMS Exeter, 68") 、駆逐艦2隻(エンカウンター、ポープ)と遭遇、砲弾魚雷を撃ち尽くしていた第五戦隊は、足柄、妙高、雷、電の加入を経て敵艦3隻を撃沈することにした。妙高型4隻と駆逐隊、さらに空母龍驤の艦載機も戦闘に加入し、3隻は撃沈された。3月1日の戦闘で足柄、妙高は20㎝砲弾1171発、妙高型4隻で酸素魚雷24本を消耗した。だが、酸素魚雷は自爆等により1本も命中していない。5月上旬の珊瑚海海戦では、第五戦隊司令官/MO機動部隊司令官高木少将は妙高に座乗、妙高をMO機動部隊の旗艦として翔鶴型航空母艦2隻を指揮する。5月8日時のMO機動部隊戦力(旗艦妙高)は、第五戦隊(妙高、羽黒)、 第六戦隊第2小隊(衣笠、古鷹)、第五航空戦隊(司令官原忠一少将:翔鶴、瑞鶴)、第7駆逐隊(曙、潮)、第27駆逐隊(時雨、白露、《有明:8日海戦には不参加》、夕暮)であった。米艦隊は空母レキシントンを喪失し、ヨークタウンが大破、MO機動部隊は翔鶴が大破した。第五戦隊は第27駆逐隊(時雨、白露、有明)に護衛されて日本本土へ戻った。6月のミッドウェー海戦、8月下旬の第二次ソロモン海戦に参加する。10月15日夜、妙高は高雄型重巡摩耶を急遽部隊に臨時編入し、第二水雷戦隊(軽巡五十鈴、第31駆逐隊《高波、巻波、長波》、第24駆逐隊《海風、江風、涼風》)と共にガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃を実施した。10月26日の南太平洋海戦に参加する。昭和18年(1943年)11月1日、連合艦隊は第五戦隊司令官大森仙太郎少将(旗艦妙高)を指揮官とする連合襲撃隊を編制し、本隊(大森少将直率:第五戦隊《妙高、羽黒》)、第一警戒隊(第三水雷戦隊司令官伊集院松治少将:川内、第27駆逐隊《時雨、五月雨、白露》)、第二警戒隊(十戦隊司令官大杉守一少将:阿賀野、駆逐艦《長波、初風、若月》)、輸送隊(山代勝守大佐:駆逐艦《天霧、文月、卯月、夕凪、水無月》)という戦力でブーゲンビル島タロキナ岬に上陸したアメリカ軍に対し逆上陸計画を企図する。だが輸送隊は引き返し、主隊・第一警戒隊・第二警戒隊でアメリカ軍輸送船団の撃滅を目指した。これをアーロン・S・メリル少将率いる巡洋艦4隻・駆逐艦8隻の艦隊が迎撃する。ブーゲンビル島沖海戦である。11月1日午後11時30分以降、妙高、羽黒の偵察機が米艦隊発見を報告する。11月2日00時45分、時雨が第一警戒隊左前方から接近する米艦隊発見を報告、つづいて川内もそれを認めた。最初に米艦隊と交戦したのは第一警戒隊で、川内は00時55分には炎上して舵故障を起こし、戦闘不能となる。主隊と第二警戒隊は回避行動に専念し、午前1時7分に妙高と初風の衝突を招いた。時雨の報告から26分が経過した午前1時16分に妙高と羽黒は射撃を開始する。第五戦隊は『敵一番艦ニ命中弾数発ヲ認ムルト同時 魚雷命中ノ水柱ヲ認ム 敵二番艦魚雷二本命中撃沈 敵三(又ハ四)番艦ニ魚雷命中水柱大火災ヲ認ム』と報告しているが、軽巡デンバーに不発弾3発、駆逐艦スペンスに1発が命中して小破しただけだった。大戦果を挙げたと誤認した大森司令官は各隊に撤収を下令、米艦隊はこれを追撃して戦場に取り残されていた川内、初風を撃沈した。戦闘終了後、第五戦隊は『重巡洋艦1隻轟沈、同2隻魚雷命中撃沈確実、大型駆逐艦2隻轟沈、重巡あるいは大型駆逐艦1隻魚雷命中撃沈確実、駆逐艦1隻同士討ちで損傷、重巡1ないし2隻および駆逐艦に命中弾』と報告した。実際の損害は第一警戒隊(川内、時雨、五月雨、白露)による駆逐艦フートの大破、五戦隊によるデンバー、スペンスの小破だった。ほかにモントピリアに魚雷2本命中も不発、サッチャーの衝突により小破。戦術的(損傷艦)および戦略的(輸送船団撃滅失敗)にも本海戦は日本軍の完敗で終わった。翌朝、羽黒からは妙高の前部左舷に初風の甲板がぶらさがっている光景が見られたという。このあと大森少将は第五戦隊司令官を解任された。昭和19年(1944年)6月のマリアナ沖海戦、10月中旬のレイテ沖海戦等に参加する。10月24日、シブヤン海で空襲を受け魚雷1本が命中、早々に栗田艦隊から落伍して戦場からの撤退を命じられた。12月13日、レイテ沖海戦での損傷修理に日本本国に戻るため駆逐艦潮を護衛にサイゴン沖を航行中のところを米潜水艦バーゴール ("USS Bergall, SS-320") の夜間雷撃により艦尾を切断した。妙高は主砲と高角砲で二二号電探を使用したレーダー射撃を実施し、バーゴールに命中弾を与え大破させたが信管が作動せず沈没させることは出来なかった。航行不能となった妙高はシンガポールに曳航され、同様に航行不能状態で同地に所在していた重巡高雄とともに防空艦として同地に留まることとなった。高角砲と機銃の大部分は陸上陣地に移設され、乗員は臨時陸戦隊に編成された。妙高はこの後も主缶と補機類(発電機など)は使用可能であり、自力での投揚錨、通信、電力供給などが可能な状態で終戦を迎えた。妙高、高雄は終戦をシンガポールで迎え、人員宿泊・他艦船の修理・通信などの担任母艦として使用された。その後はイギリスに接収されることとなったが、引渡しを受けたイギリス海軍は、規格が大きく違うとの理由(イギリスの軍艦と違い、居住性が極めて悪かったのが大きな要因とされる)から、妙高、高雄の自沈処分を決定した。妙高は昭和21年(1946年)7月8日、マラッカ海峡にて海没処分された。沈没地点。8月10日に除籍された。その後高雄も10月29日にマラッカ海峡で自沈処分が行なわれた。妙高と高雄は同じ船台で建造され、妙高の進水式には昭和天皇が行啓、高雄の進水式には香淳皇后が行啓していた。妙高型4隻・高雄型4隻の中でネームシップの妙高、高雄のみ生存し、終戦を同じ場所で迎えほぼ同じ地点に沈められるという『奇妙な縁』を持つ軍艦だった。昭和7年(1932年)に起こった五・一五事件で、犬養毅首相を襲撃した三上卓中尉は妙高の乗組員であった。

出典:wikipedia

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