6代目 三遊亭 円(圓)楽(ろくだいめ さんゆうてい えんらく、本名:會 泰通(あい やすみち)、1950年2月8日 - )は、落語家。円楽一門会所属(マネジメントはオフィスまめかな)。2010年3月1日、初名の三遊亭楽太郎(さんゆうていらくたろう)から師匠の名跡である6代目三遊亭圓楽を襲名。しかし、「落語界では旧字体の<圓>の字をよく使うが、常用漢字の<円>で通す」と表明しており「三遊亭円楽」を名乗るという。出囃子は師匠5代目三遊亭圓楽と同じ『元禄花見踊』(以前は『花が咲き候』を使用)。東京都墨田区出身。墨田区立両国中学校、東京都立深川高等学校、青山学院大学法学部卒業。長男は落語家、声優の会一太郎(落語家としての名称は三遊亭一太郎)で、長男の嫁は声優の佐々木愛。ブラック団にまず林家たい平(林家こん平降板後の5代目三遊亭圓楽司会の代役時代から)が加入、次に5代目三遊亭圓楽勇退で桂歌丸が司会に移動し春風亭昇太(回答者時代から)が加入、最後に桂歌丸勇退で春風亭昇太が司会席に移動し2代目林家三平が加入し、ブラック団は団長の6代目円楽自身を含め合計で4名となる。2008年8月、師匠・5代目三遊亭圓楽から、楽太郎が還暦を迎える2010年2月に三遊亭圓楽を6代目として襲名をすることが明らかとなった(当時は、60歳を迎えるのが2010年の2月で、真打昇進したのが1981年の春3月であったため、その頃を目処にという表現をしていた)。楽太郎は「圓楽の名跡は師匠(5代目三遊亭圓楽)が大きくしたもの。5代目・6代目はよかったねといわれるよう精進したい」と語った。しかし、自らが関わっている「博多・天神落語まつり」を直前にした2009年10月29日朝、師匠5代目が肺癌で死去。プロデューサーという立場上、既に現地入りしていたため、師匠の最期には立ち会えなかった(2009年9月3日に、長男の一太郎を伴って、5代目圓楽の自宅へ自分の弟子にしたと挨拶に訪問したのが直接対面した最後だったとのこと。この日は大師匠である6代目三遊亭圓生の誕生日と命日でもあり、墓参りもしていたとしている)。翌日の開幕式では気丈に振舞っていたものの、師匠を失い、襲名披露に立ち会ってもらえなくなったという精神的ショックは大きく、報道陣に対しては自筆のコメントペーパーを出すのが精一杯だった。その後も、仕事で地方廻りがあったため、悲しみの対面は、一門による通夜が行われた11月4日となった。2010年2月28日放送の『笑点』にて「六代目円楽襲名披露口上」を行い、翌3月1日より正式に6代目圓楽を襲名した。次いで、襲名披露パーティーと記者会見を3月2日、東京千代田区・帝国ホテルにて開催した。襲名披露公演は全国各地で行われる他、2010年3月下席から4月中席まで落語芸術協会(桂歌丸会長)の定席興行(新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場)でも開催される。これは楽太郎の要望に応じた芸術協会の協力により実現した。定席への出演は32年ぶりとなる。また、同年5月31日には、横浜市の三吉演芸場で行われた歌丸一門会でのトリを務めることになった(圓楽曰く、「アウェイ」)。歌丸は「当代(6代目圓楽)は当代、先代(5代目圓楽)は先代と、別の圓楽としてみて欲しい」とコメントし、6代目自身は「あくまでも『圓楽』とは師匠のことであり、自分のことは『六代目』を頭に付けてね」とコメントしている。笑点のオープニングでは2010年2月28日から2016年5月8日の放送まで「"六代目"」の寄席文字が入っていた(英語標記も、"6th SANYUTEI ENRAKU"となっていた)。後述のように、襲名と同時に師匠(5代目圓楽)が担当していた日本香堂・毎日香のCMナレーションも継承している。なお、両名について円楽は身内ととらえている。一門会に出演させている他、石田の著書を『笑点』で宣伝したり、伊集院とはテレビ・ラジオにおいて共演することがある。また、伊集院も円楽について現在も「師匠」と呼び、落語家時代の話をすることがある。
出典:wikipedia
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