赤間駅(あかまえき)は、福岡県宗像市赤間駅前一丁目にある、九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅である。小倉駅と博多駅のほぼ中間に位置する。1961年(昭和36年)6月1日に門司港駅 - 久留米駅間が電化して速度向上が図られると、団地の造成などと相俟って福岡市及び北九州市に通う通勤・通学する居住者が増え、当駅周辺はベッドタウン化が進んだ。快速や特急「きらめき」の停車駅だが、「ソニック」などの日豊本線乗り入れ特急列車は、朝晩を中心に一部の列車のみ停車する。2016年1月より自動詳細放送が導入され、接近、到着、発車、案内などの放送が行われるようになった。1982年(昭和57年)に橋上駅舎となり、2004年(平成16年)に南口駅前広場完成し、2009年(平成21年)2月25日に北口駅前広場と自由通路などが完成して供用開始となった。2009年(平成21年)に完成した自由通路南北線は北口と南口の双方に上りエスカレーターとエレベーターがあるガラス張りの通路で、長さが約110mあり、多目的トイレなども併設されている。東筑軒がうどん店で駅弁も販売。主な駅弁は下記の通り。バス路線も多く、快速などの停車駅となっており、次の駅の教育大前駅の方が近い地区でも当駅を利用する場合もあるため、駅勢圏と呼ばれる駅の集客範囲は広めである。開業時から明治30年代までは、最多であった1900年(明治33年)度でも1日平均乗車人員は228人と不振であったため、貨物収入で損益の均衡を保った。2015年度の1日平均乗車人員は9,181人であり、JR九州の駅としては第16位である。当駅は、筑前二十一宿の一つとして数えられるほど江戸時代に栄えた唐津街道の宿場町・赤間宿の西側にある旧土穴村に開設された。近隣にある生目八幡宮の南側にある低地にはかつては入江で船着場となっており、釣川を通じて海とつながる水運の地であった。駅開設時点では1889年(明治22年)の町村制施行時の9村合併により、赤間村の一部となっていた。現在は宗像市の中央部に位置している。当地に駅が開設されたことで、周辺は幹線道路の開設と相俟って、宗像市の中心的な商店地区の1つとなった。しかし、その一方で、旧赤間宿は衰退することになった。1961年(昭和36年)6月の鹿児島本線電化を受けて「宗像森林都市」や製鉄団地等の住宅地の開発が進み、福岡市や北九州市へ通勤する住民が増加した。南口側は、田久地区の約100万坪の用地を取得して「宗像森林都市」が民間企業により開発され、その一角には1966年(昭和41年)4月に東海大学と付属高校が開校した。1999年(平成11年)度から「赤間駅周辺整備事業」が進められ、エレベーターとエスカレーターのある自由通路、北口と南口にバス・タクシー乗降場やロータリーのある駅前広場、駐車場や駐輪場、公園などを整備した。しかし、この間の1999年(平成11年)11月にゆめタウン宗像、2000年(平成12年)11月にくりえいと宗像と大型商業施設の進出が相次いだ。こうした大型商業節の影響を受け、老朽化が進んでいた北口周辺地区は、商業地としての機能が衰退する形となった。そのため、駅周辺整備事業の一環として北口では約3.6haの土地区画整理事業も実施され、道路整備と宅地造成が行われた。以下はバス等の交通機関による連絡以下はバス等の交通機関による連絡北口・南口それぞれにバス停があり、ともに駅舎を出てすぐのロータリーで乗降車できる。バスの時刻表は駅構内でも確認することができる。沿線の住宅地をまわる路線で通勤・通学客の利用がある。(路線は2013年4月1日現在)「赤間駅前」バス停「赤間駅南口」バス停宗像郡玄海町池田にあった大和炭鉱から石炭を運び、当駅で貨物列車に積み込んでいた。なお、同炭鉱は1948年(昭和23年)1月に操業を開始し、1956年(昭和31年)から1959年(昭和34年)には月産約3000トンを出炭したが、1960年(昭和35年)には月産約500トンへ減少し、後に閉山となった。開業時の地名(宗像郡赤間町)が由来。古代から宗像氏が領有した地で、古くから宿場町(赤間宿)として栄えた。
出典:wikipedia
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