鶴ヶ島市(つるがしまし)は、埼玉県中部にある人口約7万人の市である。東京都特別区部への通勤率は16.1%、川越市への通勤率は15.4%(いずれも平成22年国勢調査)。埼玉県の中央やや南寄りに位置しているが、通常は埼玉県西部と見なされている。入間台地(武蔵野台地の北端から入間川を挟んだ対岸)の先端部に位置しており、標高は30メートルから50メートル程度で、南西から北東に向けてなだらかに下っている。かつては畑・田・林が大部分を占めていたが、高度経済成長期以降人口の流入が著しく、現在も宅地化・商業地化が進展しつづけている。川越市・坂戸市とは連続した市街地を形成している。平均気温は15度前後、年間降水量は1400mm程度である。市役所庁舎は、市内を走る鉄道沿線から離れた場所に位置するため、鶴ヶ島、若葉、坂戸、一本松駅の各駅からつるバス・つるワゴンやタクシーを使う事になる。高速道路のインターや国道に近いため、自動車やバイク等の方がアクセスしやすい場合もある。旧石器時代の遺跡が発見されており、また雷電池など飯盛川・大谷川の周辺に縄文時代の遺跡が多く見出されるが、いずれも特筆すべきものはない。古墳時代にはいくつかの古墳が築造されており、なかでも鶴ヶ丘稲荷神社古墳は古墳時代末期としては大きなものである。富士見地区の若葉台遺跡は8 - 9世紀にかけて比較的大規模に発達した遺跡であり、律令体制下における地域拠点(一説には入間郡衙)となっていたことが想像される。中世には小田原北条氏の勢力下に入っており、特に戦国期の落武者を祖とする伝承を持つ旧家が多くあるが、史料上に目立った活動は記録されていない。江戸時代初頭に川越藩領となるが、その後は村落ごとに天領あるいは旗本領などになる。古くからの畑作地帯であるが、元文年間には盛んに新田開発が行われた。千人同心街道が通っており荷役などの負担が厳しかったうえ、中山道桶川宿の助郷を命じられ免除嘆願を行った記録がある。廃藩置県により、入間県・熊谷県を経て1876年(明治9年)、埼玉県に編入される。市制町村制の施行以来合併はしておらず、1950年からの約50年間に人口がほぼ10倍に急増し、単独町制 - 単独市制へと至った。語源は『鶴ヶ島町史(文化・地誌篇)』(1988年)による。奈良時代の公卿高倉福信に因むという説が伝えられているが、証拠に乏しい。千人同心街道と川越越生道が交差する地である。元文年間に武蔵野一帯の開発に携わった代官川崎平右衛門定孝の陣屋が設けられた。高麗郡川越領。1970年代には年平均10%近い人口増加があったが、1990年代以降は年1%以下に落ち着いている。少子高齢化の例に漏れず、高齢化率は漸増を続けて14.21%(2007年)に達している。(平成20年度予算)定数18名かつては米・麦・茶や養蚕が主の農村であったが宅地化が進み、首都圏中央連絡自動車道(圏央道)周辺は業務エリアとなっている。産業としては印刷関連、プラスチック加工、食料品などの業種が主である。また商業では、当市は中心市街地を持たないことから、国道407号沿いにはロードサイド型店舗が集積している。市外局番は市内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は鶴ヶ島局および坂戸本町局。郵便番号は市内全域が「350-22xx」(坂戸郵便局が集配を担当)である。タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・東松山市・飯能市・和光市などと同じエリアとなっている。
出典:wikipedia
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