東急8000系電車(とうきゅう8000けいでんしゃ)は、1969年(昭和44年)11月30日に営業運転を開始した東京急行電鉄の通勤形電車。2008年(平成20年)2月22日の運行をもって全車両が運用から離脱した。本項ではインドネシアの鉄道会社であるPT. Kereta Apiに売却された8000系電車についても記述する。なお伊豆急行への譲渡車については伊豆急行8000系電車の記事を参照のこと。1970年代から1980年代にかけて、東急の主力車として大量に増備された。特に、機器などがほぼ同じとなる広義の8000系としては677両が製造された。なお、広義の8000系は、の3系列も含めるが、ここでは狭義の8000系のみを解説する。東急では、渋谷・大井町方の先頭車の車両番号 + F(Formation = 編成の略)で編成名を記述(例:8001以下5両編成 = 8001F)するのが慣例のため、本項でもそれに準ずる。1962年(昭和37年)登場の7000系電車以来の流れを汲むアメリカ・バッド社のライセンスによるオールステンレス車で、機能最優先な直線基調の形態である。輸送力増強と将来の新玉川線での使用を念頭に、東急では初の20m級・両開き4ドア車体となり、在来型の18m3扉車に代わり、以降の同社の標準となった。機器類については極めて先進的で、制御系には回生制動が可能な他励界磁チョッパ制御方式を世界で初めて実用化し、また、運転台操作系には、量産車としては日本初となる、マスコンハンドルとブレーキレバーを一体化した「ワンハンドルマスコン」が採用されている。後に静岡鉄道が1000系を製造した際、車体構造の大半は7200系のものを踏襲したが、運転台は8000系のものを採用している。ワンハンドルマスコンの操作法については、“押して制動・引いて力行”と言う方法と、馬の御し方に基づいたその逆の2つの案があり、最終的には前者に決定したが、これが“人間工学に基づいたシステム”と評価された。日本の鉄道車両は以降輸入車を除いてこの方式を踏襲している。また、ワンハンドル方式の運転台自体は高松琴平電気鉄道の10000形や帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)の6000系試作車などにも採用されていたが、普及までには至らなかった。他にも、応答性に優れ、当時最先端であった「全電気指令式電磁直通制動」を装備し、補助電源供給には、保守に手間のかかる従来の電動発電機 (MG) に代え、静止形インバータ (SIV)を採用するなどの特徴が見られる。主電動機は複巻電動機のTKM-69形・TKM-80形・TKM-82形の3つで、日立製作所・東洋電機製造・東芝の三社競作である。それぞれのモーターは音に違いがあり、TKM-69形は1979年までに製造されたモーターで高速域で低音を発し、TKM-80は1980年以降のモーターで、高速域が高音となった。TKM-82は1982年以降の製造で1M制御用、4個モーターを直並列制御し、低速域の音が大きく変わっている。高速域はTKM-80とほぼ同じ音を出す。台車はほぼ7200系のものを踏襲しており、動力台車はTS-807形、付随台車はパイオニアIII系のPIII-708形である。PIII-708形については乗り心地に難があり、1990年から1993年にかけて動力台車に準じた構造のTS-815F形に交換された。冷房装置については1次車(8001F - 8009F・5両編成5本)は非冷房車で登場した。この時には屋根上にベンチレーター(通風器)が搭載されていた。2次車(8011F - )からは屋根上に冷房装置の外キセのみを装着した「冷房準備車」として登場した。これは冷房車のように見えるが、実は非冷房車であることから、俗に「ニセクーラー」、「空(くう)ラー車」などと呼ばれた。これらの車両は後に本来の設計通り、冷房装置を搭載する改造がされている。なお、2次車最後の8019Fは東急初の冷房装置搭載車として1971年(昭和46年)5月19日より運転に入った。その後は4次車(8031F - 8041F・5両編成6本・冷房準備車)などを除きすべて新製時より冷房装置を搭載している。なお、冷房準備車は1970年代中期に冷房装置が搭載されたのに対し、1次車はこれより遅く1980年代後半に冷房化が実施されたために電源機器が異なる。製造当初からしばらくの間、車体はステンレスの地色のままであったが、1988年(昭和63年)の春から夏にかけて7000系、7200系、7600系、7700系とともに、先頭車の前面に赤帯が配された。東横線、大井町線合わせて26編成が運用されていたが、新型車両の導入により、2001年(平成13年)より廃車が開始され、東横線からは2008年(平成20年)1月13日のさよなら運転をもって、大井町線からは2008年2月22日の運行をもって運用を終了した。大井町線の8005F(5両編成)は、2006年3月にドア誤作動事故を起こして以来、運用を離脱して長津田検車区に留置されていた。翌2007年1月31日には同線内で3往復の試運転を行ったが、その後も運用には復帰しなかった。この編成は2008年3月27日に長津田車両工場へと回送されている。また、最後まで大井町線で使用されていた8001F(5両編成)は運用離脱後、長津田検車区に留置されていた。こちらもその後の3月31日に長津田車両工場へと回送されている。搭載機器は下記編成表参照。本系列の外形は一見、極めて画一的であるが、雨樋・屋根周辺処理・非常口のドア枠・側面行先表示器の横幅の相違で、多様なバリエーションが存在する。クハ8000形の台車のみ軸バネを省略したパイオニアIIIタイプのPIII-708形台車であったが、乗り心地の向上を目的として1990年 - 1993年に電動車に準じたTS-815F形に交換された。東横線用の8000系では1990年代に入り、電源装置の集約化を目的にクハ8000形のMGと6号車のデハ8200形に搭載した170kVA-SIVに統一し、従来の10kVA-SIVはすべて撤去されている。8031Fのクハ8031号車は2001年(平成13年)に当時国内最大容量の250kVAのIGBT-SIVを試験的に搭載した。この結果を元に新5000系において同タイプのSIVが正式に採用された。東横線所属編成を対象に行われ、1992年から1997年までに11編成が施工された。また大井町線には、外観はそのままに早期の廃車を見越して東横線の車両よりも更新内容を簡略化(座席定員が原型のままなど)した簡易的な更新車が4編成 (8001・8003・8005・8047F) 存在した。東横線・大井町線・田園都市線で運行されていた。詳細は各路線の項目を参照のこと。東横線では8090系導入以降、ダイヤが乱れた時以外は基本的に各駅停車運用だったが、2001年3月28日のダイヤ改正で全系列が共通運用になると特急・急行にも多く使用されるようになった。なお、特急運行開始直後にはそれを記念してかつての急行表示板を掲出していた所に青地に桜をデザインした「特急」マークを期間限定で掲出していた。5050系の導入後は老朽化による廃車が進み、2006年(平成18年)9月25日のダイヤ改正から基本的に平日ラッシュ時のみの運行となっていた。これも前述したが、過去には8500系に組み込まれて使用されていた車両も存在した。中間車代用として組み込まれたクハ8000形は、貫通扉と乗務員扉で運転台を締め切り、隣の車両との通り抜けが可能であった。大井町線の車両は、こどもの国線の多客時や同線専用の7000系の検査時に臨時で同線の運用に入ることがあった。主に「こどもの国」の行先表示幕を持つ8001F・8003F・8005F・8049F・8051Fが使われ、運用時には先頭車の前面に「こどもの国」のシンボルマークが掲出された。その他、1987年と1988年の夏に大井町線の8001F - 8005Fと東横線の8011F - 8015Fとで上り方制御車のみ交換されたことがある。このうちクハ8011は1988年夏季にこどもの国線にも入線した。東横線の8007Fは、2005年6月24日より前面赤帯・側面無帯から伊豆急行譲渡車と同一の伊豆急カラーとなり、臨時急行列車「伊豆のなつ号」として翌7月2日から24日までの土・日曜日(17日は除く)に東横線と乗り入れ先のみなとみらい線で運転された(詳細は伊豆のなつ号を参照)。その後は伊豆急には譲渡されず、インドネシアのPT Kereta Apiに、伊豆急カラーのままで売却された。さらに同月からは東横線の8039Fが先頭車前面の赤帯を撤去するとともに、前面行先表示器をLED式から先に運用終了した8021Fの発生品である幕式への交換(側面はLED式のまま存置)、優等列車で運用する際の通過標識灯(急行灯)点灯など、登場時に近い形に復元されて運行された。その8039Fも2007年6月22日に定期運用を離脱し、それを記念して同月30日と7月1日にイベント列車「リバイバル急行8000系号」として運転した。このイベント列車のために、先頭車前面左側への「急行」プレートの装着や過去に存在していた「渋谷」「急-渋谷」「元住吉」のほか、過去の運転時には実在しなかった白地に黒字の「元町・中華街」や赤地に白字の「急-元町・中華街」と表記された前面行先表示が用意され、クハ8039の前面窓ガラス支持Hゴムは白に近い色のペイントがなされるとともに、車内には8000系の歩みを振り返るポスターが掲出された。この表示はイベント列車としての運用終了後に「急行」プレートを「8000 Thank You!」と表記された特製プレートに交換して元住吉検車区に入庫した後、通常の表示に戻された(リバイバル急行8000系号(東急電鉄))。その後長津田検車区に回送され、同月11日に鷺沼車両基地に疎開回送されたが、同年8月12日に再び長津田検車区に回送、そして同月17日に長津田車両工場に回送された後、PT Kereta Apiに売却された。東横線に残った8019Fについては、2007年12月17日・18日に「さようなら8019F 1971-2007」(クハ8019)・「8019F引退 1971-2007」(クハ8020)と表記されたヘッドマークを掲出して運用に就き、18日をもって営業運転を終了した。その後、27日には長津田車両工場へ回送された。もう1本の8017Fは、2007年12月以降急行運用に入る際には「急行」プレートを装着して運行された。また、2008年1月1日・2日には新年を記念して土休日ダイヤにおいて運行され、前面には「元旦(1日)・賀正(2日)」(クハ8017)・「謹賀新年」(クハ8018)と表記されたプレートを装着して運転された。これは日中特急指定運用の17運行において運転されたが、両日とも14時台に車両交換により運転を終了している。そして同年1月13日に、臨時特急としてさよなら運転が実施された。(8000系さよなら運転(東急電鉄))。この際には、先頭車前面の行先表示器はLED式から幕式に交換され、過去に存在しなかった特急運転開始時のデザイン(全体が橙地に白字)の「特急 元町・中華街」表記が用意された。また、通過標識灯が点灯されたほか、「ありがとう8000系」(クハ8017)、「8000系 さようなら 1969-2008」(クハ8018)と表記されたヘッドマークも掲出された。運行番号は「39」であった。車内には8000系の歩みのほか、ヘッドマークの製作状況を記載したポスターが掲出された。そして、同月23日に先頭車前面の行先表示器を幕式からLED式に戻し、長津田車両工場へ回送された。これをもって東横線・みなとみらい線での8000系の旅客営業運転を終了した。本形式の運用離脱車は、当初売却交渉の難航や廃車体の留置スペースの不足から解体されていたが、2004年以降になって一部車両が譲渡・売却されている。
出典:wikipedia
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