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長崎放送

長崎放送株式会社(ながさきほうそう、"Nagasaki Broadcasting Company")は、長崎県と佐賀県を放送対象地域とする中波放送(AM放送)および、長崎県を放送対象地域とするテレビジョン放送を行う、特定地上基幹放送事業者である。 略称はNBC。ラジオ長崎として、創業時より筆頭株主のマルハ(現・マルハニチロ)との関係が深い。長崎県内唯一の、ラジオ放送・テレビ放送兼営の民間放送局。民放としては九州で福岡のRKB毎日放送に続いて2番目に開局した老舗の放送局であり、戦後の長崎を60年以上見続けている放送局である。社屋は市役所の近くにあり、長崎駅にも近い。NBCという略称は、米国の放送事業者であるNBC()も使用しているが、当然のことながら、一切関係はない。また、長崎県のNHKを含む放送局の中では、長年企業ロゴデザインが変更されず現在に至る(同じ県内の放送局のNCCも、NBCに次いで開局からロゴを変更せず使用している)。ラジオのコールサインはJOURで、テレビのコールサインはJOUR-DTV。テレビはJNN系列で、ラジオはJRN/NRN系列のクロスネットである。長崎国際テレビ開局までは、テレビ長崎がフジテレビ系列と日本テレビ系列のクロスネット局(後にフジテレビ系列のフルネット局となる)であったものの、スポンサー等の関係でNBCも一部のフジテレビ系と日本テレビ系の番組を放送し、朝日新聞資本の関係で長崎文化放送開局までテレビ朝日系の番組も相当数放送していた。上記のように、テレビは1県1波、ラジオは2県1波という全国的にも特殊な放送体系を採っている(同様の放送体系は、テレビを京都府、ラジオを京都府・滋賀県としている京都放送(KBS京都)のみ。テレビとラジオで放送エリアが違うという意味では、山陽放送と西日本放送も該当)。とは言っても、2011年7月24日までのアナログテレビ放送において、佐賀県内の複数のケーブルテレビ局がNBCテレビの再送信を実施していた。デジタル完全移行後の佐賀県では、JNN系列の再送信についてはRKB毎日放送に事実上一本化したため、長崎県外のケーブルテレビ局によるNBCテレビの再送信は行われなくなった。中波の民放ラジオ局がない佐賀県向けに、一部独自の番組が放送されている。ラジオ佐賀については、子会社のNBCソシアが業務全般を行っており、現在佐賀に在籍する本社社員は、局長ら一部管理職・技術責任者(電波法令に基づく)のみとなっている。NBCラジオ佐賀の電波は、筑後地域まで届いており、福岡県の民放ラジオ局の電波が入りにくい所ではよく聴取されている。そのため、筑後地域向けの広報番組を過去に放送したことがあった。また、NBC本局の中継局が島原にあり、有明海を隔てて熊本県や、鹿児島県の一部地域でも聴取できるため、エリア地域の人口は九州一であると推定されている。長崎と言う土地柄、原爆、反核に関する報道について、敏感である。過去においても、原爆に関するドキュメンタリー番組を数多く制作し発信し続けた。また、受賞歴も多い。なお、長崎特有のお盆に精霊船が練り歩く精霊流しの特別番組を組む場合がある(ただし、録画放送で深夜帯に放送)。長崎県の民放各社では、長崎くんちの開催期間には特別中継番組が組まれ、NBCもネット番組を中止して中継を行う(他局に比べて放送時間は長い)。ラジオ番組に関しては、放送免許そのものは長崎放送本社が持っているが、2006年にラジオ制作部門を、長崎本社は「NBCラジオ」(2010年「NBC興産」と統合し「NBCソシア」となる)に、ラジオ佐賀は「NBC P&S」から社名変更した「株式会社NBCラジオ佐賀」に移譲。さらに2013年4月に「NBCソシア」と吸収合併させたうえで、長崎本社とラジオ佐賀のラジオ事業を「NBCソシア」の一つの部門として運営することになった。テレビ番組の自社制作は『あっ!ぷる』を中心としている。番組制作は関連会社に任せており、『あっ!ぷる』もその1つである。テレビ番組は「プロダクション・ナップ」が、ラジオ番組は2006年に発足した「NBCラジオ」社が、これに該当する。1982年7月23日に発生した長崎大水害においては、NBCラジオは20時15分に第一報を放送したあと、20時30分より全面的に災害放送へ移行し、ニッポン放送『オールナイトニッポン』のネットをはじめ通常番組を中止して、安否情報を流し続けた。北京オリンピック大会初日である2008年8月9日はJNN系列で11:00から17:30まで中継していたが、当日は長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の模様を中継する特別番組を毎年編成しているため、NBCのみ13:00からの飛び乗り放送となった。企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:長崎新聞社の出資比率は1.11%と僅かだが、長崎放送は長崎新聞社の大株主(731,000株、10.44%)であり、一般的な新聞社・放送局と親子逆転の関係にある。1950年2月27日、鶴岡武が「社団法人・長崎平和放送協会」設立を申請した。この頃は「電波三法」が国会審議中だったため、一時保留となった。鶴岡武は1915年生まれ、中野高等無線電信学校等で学び、戦前は中国に渡り上海ラジオビーコン局等に勤務、敗戦と同時に上海から引き上げた。戦後は長崎に住み、1950年に東邦通信機株式会社を設立した。もう一つの流れは長崎商工会議所を中心とした「ラジオ長崎」のグループである。商工会議所会頭・脇山勘助(長崎電気軌道社長)や事務局長・菅野一郎、浅野金兵衛(長崎高等商業学校教授、現在の長崎大学経済学部)が中心となり、地元実業界有力者の十数人が発起人に名を連ねた。しかし、同年3月11日に長崎商工会議所が全焼する火災が発生、関係書類が消失したため一時中断となった。その後、「電波三法」の民放設立の条件であった「東京2局、他地区は1局」の方針により、一本化に向け話し合いを開始した。同年10月15日、長崎市の精洋亭ホテル(銅座町・長崎グランドホテルの前身)で合同発起人会を開き「株式会社長崎平和放送協会」を発足させた。代表に脇山勘助を選び、資本金3,500万円、出力3kW放送局を設立することを決めた。しかし後に、NHK長崎放送局と同じ500Wが望ましいと電波監理委員会からの勧告を受けたが、500Wでは県内全域をカバー出来ないとの理由により、結局1kWに減力して申請変更を行った。1951年2月に西岡竹次郎(この年6月に長崎県知事に就任)も諫早で免許申請を行う。すぐに当時の政界有力者の斡旋で話合いを持ち、西岡竹次郎は長崎平和放送協会に統合することを了解し、発起人に加わった。当時、民放設立において新聞社を母体に資金や人的援助をあおいでスタートさせるのが常だったが、長崎の場合は朝日新聞社・毎日新聞社間の考えの違いで具体化せず、経済界を中心とした自主的経営でのスタートとなり、ほかの民放と比べて苦難の道を歩むことになった。開局に向けて準備を始めるも、極端な資金不足により資本金が目標額1,250万の半分の500万にも満たず、中部悦良と大洋漁業が不足分を立て替えた。ラジオ長崎が開局したとはいえ、申請時の500Wが影響し、佐世保を始め県北一帯には電波が届かず、佐世保市民は民放の設立を望んでいた。1951年6月2日、佐世保市内の有力者が集まり「ラジオ佐世保設立発起人会」を結成。中心となったのは九州時事新聞社(1968年長崎新聞社と合併)社長であった辻一三であった。10月19日「ラジオ佐世保」の設立総会をレストラン玉屋で開いた。初代社長に山中辰四郎(佐世保庶民信用金庫理事長・その後1955年から1963年まで佐世保市長)が就任。佐世保地区は「ラジオ長崎」「ラジオ佐世保」の競願となった。地方民放は1県1局が原則、九州電波監理局が斡旋に乗り出した。最初の話し合いが雲仙で行われ、両者が各自の立場を強調したに留まったが、次第に合併の機運が生まれる。11月28日九州電波管理局による調停案が提示される。年が明け1954年1月12日、田川務長崎市長・中田正輔佐世保市長の連名による合併斡旋勧告が出された。3月6日ラジオ長崎・ラジオ佐世保で臨時株主総会を開催し合併を承認、社名を「長崎放送株式会社」と決定した。結果的には一旦、ラジオ佐世保に免許が降ろされた上で4月1日に開局、半年後の10月18日に合併した。長崎放送では、以下の5冊を発行している5:00を1日の基点とする24時間放送。日曜深夜(月曜未明)1:00(終了) - 4:00(開始)までメンテナンスで休止。一時期、5:00で放送を一旦終了して、早朝の数十分間程度休止に当てたことがあり、その際の4:59から数分間放送された終了アナウンスでも「では皆様、ここでしばらくお休みさせていただきます。」とコメントしていた。ここではテレビ長崎(KTN)の開局(1969年4月)から長崎文化放送(NCC)の開局(1990年4月)までの約20年間の主にゴールデン・プライム枠の編成状況について列挙する。TBS系列局としては珍しく、報道関係の番組を除いてはクロスネットだった。2011年7月24日停波時点この他にも、県内に約130の中継局がある(長崎県は山地・離島等の複雑な地形により県内の世帯をカバーするためにも他の都道府県より多くの中継局を設けなければならない事情もある)。24時間放送は実施せず。開始・終了の時刻はその時々に応じて変更。e-JNN(九州・沖縄)向けの番組としてRKB毎日放送を幹事社とする共同制作、およびNBCが制作協力している番組を掲載。その他の番組はRKB毎日放送#番組を参照。※但し、県央(諫早市)や島原半島(雲仙市国見町及び島原市)では。TVQ九州放送が、直接受信(視聴)できる世帯が存在している。また、長崎県内のケーブルテレビ各局もTVQの区域外再放送も行っている。ほか  ほかほかほかデジタルマスター更新によってオープニング・クロージングを刷新。南蛮君をメインにしたアニメーションへと変更された。フリー、専属含む。主に佐賀にて活動中のパーソナリティはNBCラジオ佐賀参照NHKウィークリーステラ 1998年6月19日号/1999年6月25日号の各別冊

出典:wikipedia

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