ベトナム語(ベトナムご、)は、ベトナム社会主義共和国の総人口のおよそ 87% を占めるキン族の母語であり、ベトナムの公用語である。キン語や安南語ともいい、ベトナムの少数民族の間でも共通語として話されるほか、中国と台湾など周辺諸国のキン族/ジン族、アメリカ合衆国、フランスなど在外ベトナム系移民によっても話される。東南アジア大陸部の言語は、通常インド文化の影響を強く受けているが、ベトナム語は例外的に日本語・朝鮮語・チワン語などと同様に中国語と漢字文化の強い影響を受けている。現在のベトナムの北部は、秦によって象郡が置かれて以来、中国の支配地域となった。この地を含む華南は「百越」と総称される諸民族が住んでいた地域で、そのひとつが、現在のキン族の祖先であった。「ベトナム ()」は漢字で書けば「越南」であり、現在の浙江省周辺にあった国の南にある地域のために「越南」と呼ばれた。しかし、系統的にはシナ・チベット語族やタイ・カダイ語族ではなく、オーストロアジア語族に属すると解することが一般的である。この説に従えば、話者数でクメール語(カンボジア語)を上回るオーストロアジア語族で最大の言語ということになる。また、中国語などの言語の影響を受け、声調言語になった。中国の支配を受けていたため、ベトナムの古典や歴史的な記録の多くは、漢字による漢文で書かれており、漢字文化圏である。現代語をみても、辞書に載っている単語の 70% 以上が漢字語であり、漢字表記が可能である。対応する漢字が無い語については、古壮字などと同じく、漢字を応用した独自の文字チュノム()を作り、漢字と交ぜ書きをすることが行われた。しかし、1919年の科挙廃止、フランス総督府によるクオック・グー(後述)教育の推進により漢字、チュノムの使用頻度は次第に減少、1945年の阮朝滅亡とベトナム民主共和国の成立により、ベトナムの国字として漢字に代わりクオック・グーが正式に採択されたことで、漢字やチュノムは一般には使用されなくなった。公式な漢字の廃止は1954年であり、南北に分断したこの年にベトナム民主共和国紙幣における漢字使用は廃止されている。現在では日常生活で漢字が見られるのはテト(旧正月)や中秋節などの伝統行事や仏事、冠婚葬祭などである。漢字の理解者も、高齢者の一部や、国文学や歴史学などの研究者、書道家や仏僧、日本語及び中国語の学習者などに限定される。現在のベトナム語表記に使われるのは17世紀にカトリックの宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが考案し、フランスの植民地化以降普及したローマ字表記「クオック・グー()」である。植民地期にはクオック・グーはフランスによる「文明化」の象徴として「フランス人からの贈り物」と呼ばれたが、独立運動を推進した民族主義者はすべてクオック・グーによる自己形成を遂げたため、不便性と非効率性を理由にして漢字やチュノム文は排除され、クオック・グーが独立後のベトナム語の正式な表記法となった。現在、クオック・グーを公式の表記法とすること自体への異論はあまり存在しないが、伝統的な漢文や難解な漢字・チュノム混交文を理解運用できる人材が少なくなっているため、人文科学、特に歴史研究の発展に不安をもつ知識人の間には、中等教育における漢字教育の限定的復活論がある。現在の正書法であるクオック・グーでは、ラテン文字と、それに補助記号をつけたものが用いられる。ただし、F, J, W, Z は外来語等を表記する際を除いては用いられない。ベトナム語表記の特徴は、語ではなく音節で分かち書きをすることである。これはベトナム語の単音節的な性質に合っている。中国語と同様、声母(音節頭子音)と韻母(介母音+主母音+音節末子音/母音)、および声調からなる音節構造をもち、多くの音節はそれ自体で形態素となりうる点でいわゆる「単音節語」的な特徴を有する。注記したものをのぞき、すべての単母音、二重母音は主母音に立つことができる。漢字音の対応は、中国語各方言・日本語・朝鮮語でほとんど変化のない(変化しても b など唇音のまま) 声母字「面」「民」などが、d (北部方言の ) に変化し、半母音の 声母字も摩擦が強まり、d(北部方言の )となっている。また、 の一部は に変化しているのが特徴的で、現代中国語の sh () 声母字の一部は th () に対応する。ベトナム語には 6 種の声調があり、各音節は必ずいずれかの声調を持つ。ただし南部方言では と が合流し、5 声調になっている。歴史的には、末子音が消滅した時、3 声調に分かれたとされる。ベトナム語の属するオーストロアジア語族のほとんどは声調を持たない。その後、頭子音の無声/有声に従って各声調が二つに分かれ、今日の 6 声調になった。クォック・グーの入力の基本は英文タイプに準ずるが、声調記号や各種装飾記号の入力方法によっていくつかの方式に分かれる。声調記号をそのシンボル通りの入力で補う方式。以下のように入力する。声調記号: á(a 'の順にタイプ)、à(a `の順にタイプ)、ả(a ?の順にタイプ)、ã (a ~の順にタイプ)、ạ (a .の順にタイプ)。その他記号: đ(ddの順にタイプ)、ă(a (の順にタイプ)、â ê ô(それぞれa ^, e ^, o ^の順にタイプ)、ư, ơ(それぞれu +, o +の順にタイプ)声調記号をその呼び名のイニシャルで(タインサック=s, タインフイェン=f のように)入力する方式。以下のように入力する。声調記号: á(a sの順にタイプ)、à(a fの順にタイプ)、ả(a rの順にタイプ)、ã (a xの順にタイプ)、ạ (a jの順にタイプ)。その他記号: đ(ddの順にタイプ)、ă(a wの順にタイプ)、â ê ô(それぞれa a, e e, o oの順にタイプ)、ư, ơ(それぞれu w, o wの順にタイプ)声調記号を数字で入力する方式。以下のように入力する。声調記号::á(a 1の順にタイプ)、à(a 2の順にタイプ)、ả(a 3の順にタイプ)、ã (a 4の順にタイプ)、ạ (a 5の順にタイプ)。その他記号: đ(d 9の順にタイプ)、ă(a 8の順にタイプ)、â ê ô(それぞれ a 6, e 6, o 6 の順にタイプ)、ư, ơ(それぞれ u 7, o 7の順にタイプ)キーボードの最上段の列に記号付き文字と声調記号を割り当てる方式。声調記号::à(a 5の順にタイプ)、ả(a 6の順にタイプ)、ã (a 7の順にタイプ)、á(a 8の順にタイプ)、ạ (a 9の順にタイプ)。その他記号: đ(-をタイプ)、₫(=をタイプ)、ă â ê ô(それぞれ 1 2 3 4をタイプ)、ư, ơ(それぞれ [ ]をタイプ)語順はSVO型(主語-動詞-目的語)である。修飾語が基本的に被修飾語の後に置かれる点は、オーストロ=アジア語族の言語をはじめとする東南アジアの多くの言語と共通である。たとえば、「ベトナム社会主義共和国」は、" (国-共和-社会主義-ベトナム)となる。古典的類型論からみると孤立語的特徴をもっており、形態変化をせず、接辞をあまり用いず、統語的関係はもっぱら語順によって表されること、使役、受動を動詞に先行する前置詞句構文で表すこと、動詞に補語を後置して動作の方向や結果を表すこと、事物の存在を表すための特別の構文が存在することなどは、中国語(普通話)と共通する特徴である。語彙には漢字が多いが、固有語の形態素も漢字語根と同様単音節から成り立つ。ただし造語にあたっては、固有語の場合は文法に従って修飾成分を後置するのに対し、漢越語は中国語からそのまま借用したため、修飾成分は前置されたままである。ただし、南北統一後に「ベトナム語純化運動」が起き、いくつかの漢字借用語が固有語に置き換えられているため、南ベトナムで書かれた古い文章や、ベトナム戦争終結前に海外に移住した人々の間では、を(翻訳借用ではない「飛機」の直読み)とするなどのズレがある。また現代中国語の語彙と意味が異なる漢字語も多い。日本語の和語に漢字を当てた漢字語が和製漢語として借用されそのまま定着した例もある。この場合ベトナム語では中国語、朝鮮語の例と同様すべて漢字音で読まれる。このほか、フランス語や英語からの借用語もある。アルファベット使用言語からの借用(とりわけ固有名詞の借用)は、ローマ字採用によって容易になったが、もとのスペルを生かすか、ベトナム語の音韻構造にそったスペルを採用するかをめぐって現在まで議論が続いており、借用形の使用には混乱がみられる。, , , 以外の有声子音は音節末に立たないため、対応する無声子音(ない場合は調音部位の近い無声子音)に置き換えられる(フランス語の r を に音訳するなど)。音節の頭文字をとって略語を作ることが頻繁に行われ、ネイティブスピーカーでも首をかしげるものも多い。以下はほぼ誰にでも通じる例である。ただしこれらは筆記においてのみの存在であり、たとえばはデーテーゼーデーとは読まず、普通にディエントアイジードンと読む。ベトナム語では一般的に自分を表すのに Tôi, 相手を表すのに Bạnという語があるが、これは非常によそよそしい印象をもたらすものであり、初対面程度でしか用いられない。多少なりとも顔見知りであればお互いの年齢を確認のうえ、相手が年上なのか、年下なのか、男性なのか、女性なのか、年上であれば自分の両親より上か下か等の区別により、相手を表す語だけでなく自分を表す語も変化する。10進法が基本となっており、関わりの深いカンボジア語やフランス語のような5進数・20進数の形跡はみられない。桁区切りは3桁で行われ、「千(, 南部では)」、「100万()」が区切りとなり、漢字文化圏であっても「万」の概念は薄い(「10千」とみなされる)。ベトナム語の方言は、北部方言、中部方言、南部方言の三つに大別され、それぞれハノイ市、フエ、ホーチミン市(サイゴン)を標準とする。このうち中部方言は他の両者と比べ音韻、語彙の両面にわたる差異がもっとも大きく、次いで北部と南部が対立する。これは、歴史的にハノイとフエが鄭氏と広南阮氏の分立以来の対抗の歴史を持っているのに対し、南部は18世紀末以降初めて領域に入った「新開地」であり、明の滅亡でベトナムに流入した中国人難民が南部に入植し、ベトナム人官吏の支配下で勢力を拡大してクメール系住民を駆逐し、1863年のフランスによるカンボジア保護国化まで陸続としてカンボジア領土を侵食して拡大した歴史があるためである。フランスの植民地化は1858年からの南部占領(コーチシナ総督府の設置)に始まり、その中心となったサイゴンは「東洋のパリ」と称される大都市に成長し、1975年のサイゴン陥落まで、ハノイに対立する政治的経済的中心であり続けたため、現在のベトナム語においてもハノイ方言とサイゴン方言とはほぼ同等の威信をもって並立しており、音声メディアにおいてもサイゴン方言はハノイ方言と並んで使用されている。また、ベトナム戦争では多くの政治難民が発生し、特に南ベトナムに住んでいた富裕層や華人の多くが海外に移住している。そのような、社会主義国家としての新しい生活環境・習慣を知らない越僑の間で使われる言葉は、戦後の共産党政府による「ベトナム語純化運動」の影響を受けていないために漢語率が高いなどを含め、特に語彙の面において現在のベトナム在住者の言葉とは異なっている。音韻面においては、クオック・グーで弁別される特徴のうち、音節頭子音(声母)における対立がハノイ方言で摩滅しているのに対し、サイゴン方言ではこれを保存している(詳細は「文字」「子音」の各表を参照。ただし音節頭子音の弁別はハノイ以外の北部方言ではかなり保存されている)。これに対し、音節末子音(韻尾)と声調の対立はサイゴン方言で摩滅する傾向にあり、韻尾にn, ng, nh を持つ母音がいずれも鼻音化しているほか、声調では と の区別がなくなっている。
出典:wikipedia
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