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木次線

木次線(きすきせん)は、島根県松江市の宍道駅から広島県庄原市の備後落合駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。木次駅と宍道駅を結んだ簸上鉄道によって開業し、のちに鉄道省によって南方に延伸されて芸備線と接続し、芸備線とともに陰陽連絡路線の一つとして機能していた路線である。1950年代から1990年までは広島・松江へ直通する急行「ちどり」などの優等列車が運転されていたが、山陽新幹線の開業と伯備線の電化に伴う旅客の流れの変化に加え、道路整備の進展と自家用車・高速バスの隆盛にも押されて、1990年代以降は陰陽連絡線としての役割は失われた。JR西日本のほかのローカル線と同様に、保守点検の合理化を目的とした25km/hの速度制限箇所がある。平成25年度の輸送密度(平均通過人員)は245人/日である。本来ならば1980年代初頭の「第1次特定地方交通線」(輸送密度500人/日以上2000人/日未満)に指定され、廃止対象となる予定であったが、当時「沿線道路が未整備である」としてリストから除外された。米子支社が管轄する宍道駅と、岡山支社が管轄する備後落合駅をのぞき、米子支社の木次鉄道部が管轄している。2016年2月4日、米子支社によってラインカラー、路線記号の導入が発表され、同月中より順次導入されている。ラインカラーは「沿線の紅葉の色」をイメージする山吹色()、記号は E である。山陰本線との分岐点である宍道駅を出ると、すぐに南下を始める。南宍道駅を過ぎて、最初の峠を最大25‰の勾配と、最小半径161mの急カーブで越えると加茂中駅で、大きく東に回って出雲大東駅を経由して木次駅に至る。木次駅からは久野川の渓谷を25‰の勾配で進み、下久野駅を経由して木次線では最長の下久野トンネルを通過する。出雲三成駅からは遡上する斐伊川に沿って南下するが、亀嵩駅を経由するため一度支流の亀嵩川に沿い、出雲横田駅から閑散区間に入る。八川駅を過ぎると勾配は30‰に達するようになり、中国山地の高所を出雲坂根駅から三段式スイッチバックで越えて中央坂根トンネルを通過すると、国道314号の「奥出雲おろちループ」を眺めることができる。第八坂根トンネルを通過すると下り勾配になり、JR西日本で最も高い標高727mの位置にある三井野原駅を通過し、やがて広島県に入って西城川に沿って芸備線との分岐駅である備後落合に達する。三井野原駅との標高差は、木次線では一番低い宍道駅で722m、備後落合駅では274mにもなる。前述のとおり、1950年代から1980年代には急行「ちどり」「夜行ちどり」などの優等列車が運転されていたが、1990年3月10日に「ちどり」が廃止されて以降は普通列車のみの運転となっており、同年より一部の列車をのぞいてワンマン運転が実施されている。2011年3月12日改正時点で、全線通しの列車のほか宍道駅 - 木次駅・出雲横田駅間などに区間運転列車があり、宍道駅 - 木次駅間は1 - 2時間に1本程度、木次駅 - 出雲横田駅間は2 - 3時間に1本程度が運行されている。全線通しの列車は下り2本・上り1本で、これらを合わせて出雲横田駅 - 備後落合駅間は後述の「奥出雲おろち号」をのぞくと1日3往復のみである。2003年11月30日までは4往復が運行され、備後落合駅で車両の夜間滞泊があった。朝の1往復の列車は南宍道駅を通過する。朝には山陰本線に直通して松江駅まで運転される列車がある(逆方向はなし)。2001年3月2日までは米子駅まで直通する列車もあった。夜と翌朝の木次駅 - 出雲横田駅間の列車は土曜と日曜に運休する列車がある。保守工事のため、日中の列車は宍道駅 - 木次駅間は第3日曜日、木次駅 - 備後落合駅間は第2木曜日に運休し、その場合出雲横田駅 - 備後落合駅間は1日2往復しか運行されない。この運休については、かつては代行輸送もなかったが、現在は代行輸送がある旨時刻表に案内されている。なお、木次駅や出雲横田駅などで行き違いによる長時間停車を行う列車が存在するため、所要時間は全線通しで2時間半から3時間程度かかるものもある。木次線は中国地方きっての山岳路線であり、豪雨・豪雪による運休は少なくない。記録的な大雪を記録した2005年度(平成18年豪雪)には、出雲横田駅 - 備後落合駅間が2005年12月22日から2006年3月29日まで積雪を理由に運休し、2006年7月20日から同年7月27日にも豪雨による災害のため同区間が運休している。特に、2012年以降はほぼ毎年冬期に出雲横田駅 - 備後落合駅間で雪のための長期運休が発生している(後述)。これはこの区間は1日3往復と運行本数が少ないので、保線に費用を投じるよりも代行輸送の方が安上がりにすむことと、最大の難所であった出雲坂根駅 - 三井野原駅間で平行する国道314号が整備されたためで、大雨・大雪の際にはタクシーによる代行運行が頻繁に行われている。これにより木次線の存続要因であった「沿線道路が未整備」という理由は解消されている。ただし、同じく島根県・広島県境の超閑散路線である三江線と異なり、廃線の提案は今のところ浮上していない。1998年4月25日から木次線の利用促進を目的として、行楽シーズンにトロッコ列車「奥出雲おろち号」が運転されている。2009年度から出雲の國・斐伊川サミットが運行経費などを負担しており、2010年度の乗車数は16,712人(乗車率72.1%)で、島根県外からの観光客が利用する人気列車として島根県を代表する観光資源となっている。なお、「奥出雲おろち号」が運転されていない日には、木次駅 - 出雲横田駅間で臨時列車が1往復運転されている。車両は1993年4月24日から、トロッコ列車「奥出雲おろち号」をのぞく全列車が木次鉄道部所属のキハ120形気動車で運転されている。木次線には普通鋼製車体の200番台が3両、ステンレス製車体の0番台が5両の計8両が配置されている。米子機関庫木次分庫(後の木次機関区)が1934年8月に開設され簸上鉄道時代の車両を承継したが、1935年3月31日現在で230形、1260形、3040形の3形式の蒸気機関車が配置されていた。米子機関庫出雲三成分庫にはC12形が配置されていたが旧簸上鉄道線の宍道 - 木次間は線路が脆弱で入線できず、C12形は木次 - 八川間の運転で、木材輸送の貨物列車は木次で機関車を付け替えていたという。やがて1937年に備後落合まで開通し芸備線と接続するようになると木次機関区にC56形が配置され(最大13両配置)全線で客貨を牽引することになった。同機牽引による3両編成の夜行快速列車「夜行ちどり」の運転も行われた。やがて1969年7月1日に旅客列車は全部ディーゼルカーとなり貨物列車も1971年6月に廃止された。また1957年よりC11形も配置されていた。ディーゼルカーは1959年にキハ02形気動車が配置され、続いてキハ07形気動車も配置された。キハ07形は国鉄では最後となる1970年まで見られた。やがて勾配向け2基エンジンの強力車であるキハ52形気動車やキハ53形気動車が主力となり、キハ40形気動車も使用されていた。急行列車にはキハ58系気動車が使用された。国鉄に引き継がれた車両は蒸気機関車5両、客車10両、貨車138両である。客車はすべて木製ボギー客車貨車2006年、広島の経済界を中心に、木次線と芸備線の高速化と、広島方面への直通列車の運行が提言されている。ただし、木次線スイッチバックの解消方法などの具体的な方策に乏しいうえ、山陰本線や津山線など近隣各線での高速化工事の先例においても必須であった地元の資金負担については、一切言及されていない。木次線の沿線自治体はいずれも深刻な過疎化で財政は危機的状況にあり、資金負担は到底不可能であるうえ、提言を行った当の広島財界にも資金負担の意向は見られない。沿線住民からはこのような提案への認知度も乏しいのが実情で、高速化実現の可能性はきわめて低い。島根県も大規模な設備の改良が必要で費用も莫大となり、利用客が減少している状況では困難としている。参考までに1990年3月まで木次線を走っていた急行「ちどり」の線内の表定速度は、線形が悪いうえ線内では三井野原駅と油木駅を連続で通過する以外は宍道駅から備後落合駅まで停車する駅と通過する駅とが交互に存在していたため40km/h程度で、『隔駅急行』と揶揄された。ただし下久野駅・加茂中駅には当初は停車していなかった。1914年1月鉄道免許状が下付された簸上軽便鉄道は八束郡宍道村-大原郡木次町間と支線大原郡幡屋村-同郡大東村間の軽便鉄道を計画していた。同年5月に簸上鉄道に社名を変更。1915年2月には路線を八束郡宍道村-大原郡木次町間のみにすることに変更した。1916年10月に宍道駅 - 木次駅間が開通した。営業状態は当初政府の補助を受けていたが、成績は良好であった。1927年になると国鉄木次-落合間の建設工事の資材運搬に使用され貨物収入をふやした。宍道駅と木次駅がJR西日本直営駅であり、それ以外の駅は簡易委託駅もしくは無人駅である。ただし、簡易委託駅のうち加茂中駅・出雲大東駅・出雲三成駅・出雲横田駅の4駅にはPOS端末が設置されている。

出典:wikipedia

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